認知症は「治す」より「防ぐ」! 日常生活の中でできる認知症予防法は?
健康な歯でしっかり噛んで食べることは、脳の健康にもよいようです。その理由は?
私は長年、認知症治療薬の開発研究に取り組んできました。できるだけ早期に異変に気付くことができれば、薬の力を借りて病気の進行を食い止め、脳の機能を維持できるようになるかもしれません。しかし、やはり理想は、治療よりも「発症前の予防」です。そして、認知症予防は、できるだけ若いうちから始めることも大切です。
今回は将来認知症にならないために、日常生活の中でできることを一緒に考えてみましょう。実は、歯や口の健康と認知症には意外な関係があるのです。
認知症疑いの高齢者は自分の歯が少ない? 歯の本数と認知症の関係
70歳以上の高齢者を対象に、自分の歯が何本残っているかを調査したデータがあります。これによると、健康な人は平均14.9本だったのに対し、認知症の疑いがある人は平均9.4本でした。この「認知症の疑いがある人の方が、自分の歯が少なかった」という結果には、いろいろな解釈が可能です。一つは、「歯が少ないと認知機能が低下しやすい」という可能性です。逆に「認知機能が低下しているから、歯の手入れがうまくできずに歯を失った」という可能性も考えられます。あるいはたまたまそのような傾向があっただけで、実は因果関係はないのかもしれません。
しかし、様々な状況証拠から、歯を含めて口の中を健康に保つことは認知症の症状改善ならびに予防に有効だと考えてよさそうです。主な理由を以下に挙げます。
口の中を清潔に保つ「口腔ケア」の効果・メリット
ある会合に参加したときの懇談会で、認知症患者のお宅を訪問して口腔ケアの手助けをされている歯科医の方からお話をうかがう機会がありました。そこで、上で紹介したデータと一致するように、認知症患者さんは総入れ歯の方がとても多いという興味深い話を聞くことができました。実際の現場で多くの患者さんを診られている歯科医としては、比較的若いときからすでに歯を失っている方が多く、そのことが発症を早めたとも考えられるとのことでした。また、歯磨きや入れ歯の掃除をまったくしていない方も少なくないようで、介護に苦労されているご家族にとっては歯の健康までをケアすることの大変さも感じられます。しかし結果的に口臭も悪化しやすく、ご本人の食欲もなくなり、元気がなくなってしまう悪循環も見られるようです。さらに、口の中が不衛生な状態だと、誤嚥があったときに肺炎を引き起こす危険性も高くなることも心配です。
こうした方々に歯科医としてできることは、専ら「口腔ケア」だそうです。歯のある方は歯を丁寧に磨き、口の中をきれいにしてあげる。入れ歯の方はそれを掃除してあげる。ただそれだけで、患者さんの様子が劇的に改善するそうです。
口の中がきれいになると、食べ物の味がよくわかり、おいしいと感じられるようになります。さらに赤く腫れていた歯茎がきれいなピンク色に変わり、食べものをしっかりと噛めるようになると、食欲もわきます。しっかり食事がとれることで、栄養状態が改善することはもちろん、精神的にも安定し、意欲がわいて活動的になります。口臭などがなくなることで、お互いに気持ちよく関わり合えるようにもなります。また、誤嚥性肺炎の危険性も減るなど、いいことだらけです。
しっかり噛めば、脳の衰えが防げる! 歯と脳の健康の関係
若いうちから歯を健康に保ち、しっかり噛んで食事をする習慣をつけていると、脳に良い影響があり、衰えを防ぐことができるとも考えられます。まず、物を噛んだときの感覚は、歯から脳へと伝えられるので、脳への刺激になります。運転中にガムを噛んで眠気を覚ますのと同じです。また、噛むということは、脳を使って顎(あご)を動かす運動に他なりません。脳を使うことで、機能が維持されます。
さらに、口の中に食べ物を入れて飲み込む前に、顎を動かして食べ物を噛み砕いたり、すり潰したりする動作を「咀嚼運動(そしゃくうんどう)」と言いますが、とくに「奥歯をしっかり噛み締めよう」と思って顎を動かすときには、上顎と下顎をつないでいる「咬筋(こうきん)」と、こめかみの辺りにある「側頭筋(そくとうきん)」を主に動かします。そして、これらの筋肉がある場所には、血流のたまり場(具体的には「翼突筋静脈叢(よくとつきんじょうみゃくそう)」と「海綿静脈洞(かいめんじょうみゃくどう)」、下図参照)があるので、咬筋や側頭筋を繰り返し動かすとこの血液のたまり場がマッサージされ、脳全体の血液の巡りが良くなるという効果が生じます。 頭にしっかり血液が流れていれば、脳の働きもよくなるでしょう。この点では、大きく笑ったり、いっぱいおしゃべりするのも、顎の運動ですから、脳の健康維持にいいということです。
よく噛んで食べると、海馬の神経新生が促進される
「脳の神経細胞と「神経新生」」で解説したように、私たちの脳の中で、とくに記憶の形成を担っている「海馬」という領域には、大人になっても少数の神経幹細胞が残っており、脳の活動によって適度な刺激が与えられると、神経幹細胞が神経細胞に分化して神経細胞数が増える仕組みがあることが分かっています。この仕組みは「神経新生」と呼ばれ、認知症の治療や予防の観点からも注目されています。1999年に岐阜大学医学部解剖学第二講座の研究グループは、歯と記憶力の関係を探るため、年老いたネズミの奥歯を取り去った場合に、記憶力がどう変化するかを調べる実験を行いました。その結果、奥歯を失い餌を噛んで食べられなくなったネズミは、記憶力が悪くなるとともに、海馬の神経細胞密度が低下することがわかりました(Brain Res 826: 148-153, 1999)。
2005年に北海道大学大学院歯学研究科と同大学病院の研究グループは、ネズミの奥歯を取り去るとともに噛まなくても食べられる粉末状の餌を与え、海馬の神経細胞にどのような変化が起こるかを調べました。その結果、奥歯を失ったネズミでは、せっかく海馬で新しい神経細胞が生まれても長生きしないことがわかりました(Neuroreport 16: 249-252, 2005)。また、この結果は、奥歯を失うことで記憶力が低下するのは食べるのが難しくなり栄養失調になるためではなく、「奥歯でしっかり噛むことができないこと自体が海馬の神経新生の減少につながり記憶力の低下をまねく」ことを示しています。
よく噛んで食べることは、様々な面から脳全体によい影響を及ぼし、結果的に海馬の働きも高め、記憶力を高めるようです。
歯を失ってからでは遅いので、若いうちから、歯の健康維持に努めることが必要です。特に奥歯は大切です。虫歯やかみ合わせの悪さの自覚があるなら、脳のためにも、きちんと治療しておきましょう。