脳科学・脳の健康

萎縮した脳を回復させる方法はあるのか?脳の神経細胞と「神経新生」

【脳科学者が解説】萎縮した脳を回復させる方法はあるのでしょうか? 残念ながら、睡眠や食べ物はもちろん、現在の医療技術でも一度死滅してしまった脳の神経細胞を蘇らせることはできません。しかし、将来的には可能性がありそうです。最近明らかになった「神経新生」というしくみについて解説します。

阿部 和穂

執筆者:阿部 和穂

脳科学・医薬ガイド

萎縮した脳を元に戻すことは可能か

萎縮した脳は回復するのか

萎縮した脳を回復させる方法は? 「神経新生」の研究がカギになりそうです

アルツハイマー病のような神経変性疾患では、時間経過とともに徐々に脳の神経細胞が変性・脱落して、最終的に脳の萎縮が起こります。現在の医療技術をもってしても、いったん死滅してしまった脳の神経細胞を蘇らせることは残念ながら不可能です。発症後にできる最善の対応は、残った神経細胞が脱落しないように食い止めることだと言えます。

しかし、脳科学の先端研究では、もっとすごい夢のような治療法の検討が進んでいることをご存知でしょうか。脳の神経細胞には再生能力がありませんので、組織がダメージを受けても、成熟した神経細胞が細胞分裂を開始して、元に戻ることはありません。しかし、脳の中には未熟な細胞が隠れていて、刺激を受けると新しい神経細胞に生まれかわる「神経新生」というしくみがあることが分かったのです。このしくみをうまく利用すれば、病気によって減ってしまった脳の神経細胞を再び増やせるかもしれません。

今回は、脳科学のホットな研究テーマとなっている「神経新生」という仕組みの詳細を解説します。
 

再生能力が高いプラナリア…人間の皮膚や脳の神経細胞は再生するのか

突然ですが、プラナリアという生き物をご存知ですか。三岐腸目(さんきちょうもく)に属する動物の総称で、ヒルやミミズのような見かけの動物です。英語のplain(平原)やplane(平面)と同じく、「平たい面」を意味するラテン語のplanariusに由来して名付けられたように、体が平らで薄っぺらくなっています。中学の理科や高校の生物学の教科書でなどによく写真が載っているのは、プラナリアのうち、サンカクアタマウズムシ科に分類される「ナミウズムシ」です。体表に繊毛があり、この繊毛の運動によって渦ができることから、その名が与えられたそうです。体長2~3センチメートルでこげ茶いろをしており、頭部が三角になっていて、全体が矢印のような形をしています。北海道北部を除く日本列島全域の川の上流に生息しており、石や枯葉などの裏に張り付いていることが多いです。

この生き物が教科書で取り上げられるのは、とても再生能力が高いからです。ちょっと残酷に思われるかもしれませんが、シャーレの水の中を泳いでいる1匹のプラナリアにナイフを入れて、胴体の真ん中で切断し頭部と尾部に分けてみます。普通の生き物なら死んでしまいそうですが、まったく平気で、それぞれの部分がちゃんと水の中を泳ぎます。しかも、数日経つと、頭部からはしっぽが生えて、尾部からは頭が生えてきて、元と同じような形の2匹になるのです。切断されるという緊急事態になると、切り口付近にある細胞が次々と分裂を繰り返して細胞数を増やすことで、体が作られていくのです。体が完全にできあがると細胞は分裂を止めます。このようにしてプラナリアは、一度失った体の一部を「再生」することができるのです。ちなみに、どれだけ小さく切断しても再生できるのかにチャレンジした人がいて、1匹を100個以上に細かく切断しても、それぞれが再生して100匹以上になったという報告もあります。驚異的ですね。

もちろん、私たち人間は、万が一事故で手足を失ってしまったら、最先端の医療技術をもってしても、再生することはできません。プラナリアと私たち人間で、何が違うのでしょうか。その答えははっきりわかっていませんが、下等あるいは未熟な細胞には細胞分裂能力があり、組織を再生できるのですが、高等あるいは成熟した細胞には細胞分裂脳がなく、傷ついたら再生できないという法則があります。

私たち人間の体はいろいろな種類の細胞が集まってできていますが、その中には、プラナリアのように傷ついても再生できる細胞もあります。例えば、料理中に誤って包丁で指先の皮膚を切ってしまっても、何週間か経つと傷口がふさがっているでしょう。これは、緊急事態に細胞が反応して分裂を開始し、次々と新しい細胞ができて傷口を埋めていくからです。つまり、皮膚には再生能力があります。

大人の脳の神経細胞はどうでしょうか。傷ついても、皮膚のように元に戻るでしょうか。残念ながら、答えはノーです。成熟した脳の神経細胞は、私たちの体の中でもっとも高度に発達した特殊な細胞で、細胞分裂して増えることができず、傷ついたら死滅するのみです。脳の神経細胞は、高度な機能を獲得した代わりに、再生能を放棄してしまったのです。
 

神経新生とは……大人の脳も発達する可能性

しかし、この常識が近年覆されつつあります。

1980年代に、アメリカのカリフォルニア大学サンフランシスコ校のマイケル・M・マーゼニック博士らは、大人のサルにハンドルを押すことを教えて、一日に数千回も同じことをやらせ続けたところ、その運動を行うときに働いている脳の部分が大きくなり、神経ネットワークが発達したと報告しました。多くの研究者たちは、この実験結果はおかしいと疑いました。なぜなら、高度に発達した大人の脳の神経細胞には分裂能がなく、いくら訓練によって刺激を受け続けたとしても、脳の構造が変わるというのはあり得ないと思われたからです。

この矛盾を解決するために、多くの研究者が答えを探し求めました。そして、近年になってついに答えが分かりました。

1960~1970年代に、アメリカのマサチューセッツ工科大学のジョセフ・アルトマン博士らや、ボストン大学のマイケル・S・カプラン博士らは、大人のネズミの海馬において、神経細胞が新しく作られていると報告していましたが、当時はあまり注目されていませんでした。ところが、1992年になって、カナダのカルガリー大学のサミュエル・ワイス博士らが、大人のネズミの脳から「神経幹細胞(しんけいかんさいぼう)」という未成熟な細胞を取り出して、試験管の中でこの細胞が神経細胞に変化する様子を観察し、報告しました(Science 255: 1707-1710, 1992)。これを期に、おとなのネズミの海馬にある細胞を詳しく調べ直したところ、成熟した海馬に神経幹細胞があることが、多くの研究グループによって確認されました。1998年には、大人のヒトの海馬にも神経幹細胞があることが確認されました(Nature Med 4: 1313-1317, 1998)。

私たち一人一人の命は、元をたどれば、母親の卵子と父親の精子が合体した、たった1個の受精卵から芽生えたものです。1個の細胞が分裂して2個になり、また分裂して4個になり、さらに分裂を繰り返して細胞数がどんどん増えていきます。そのうち、一部は骨格をつくり、一部は内臓になり、一部は神経になり、体全体ができあがっていきます。神経幹細胞というのは、こうして体ができあがっていく過程で、神経になる前の段階の幼い細胞です。将来は神経細胞になる運命にありますが、まだ神経細胞になりきっていない未熟な「種」のような存在の細胞です。

従来の常識では、神経幹細胞は、脳が成長段階にある赤ちゃんの脳にはあるけれども、大人になると神経幹細胞はすべて神経細胞になり脳が完成すると考えられていたのですが、実は神経細胞になりきっていない神経幹細胞が、わずかながら大人の脳の中にも残っていたのです。そして、大人の脳の中に隠れている神経幹細胞は、普段は働いていませんが、刺激を受けると細胞分裂を開始し、神経細胞になることがわかったのです。

できあがった大人の脳の神経細胞自体には細胞分裂能はなく、増えることはありません。しかし、訓練や刺激によって神経幹細胞が目覚めて、新しい神経細胞として誕生し、既存の神経ネットワークにうまく組み込まれることで、大人の脳も発達しうるのです。この仕組みは、「再生」と区別するために、「神経新生」と呼ばれ、現代脳科学のホットな研究テーマの一つになっています。
 

環境によって記憶力が良くなる研究報告

神経幹細胞が大人の脳のどこにあるかを詳しく調べたところ、とくに海馬にあることがわかりました。「脳の海馬の働き・機能…記憶や空間認知力に深く関係」で解説した通り海馬は記憶と関係しますから、海馬を刺激すると海馬にある神経幹細胞が増殖し始め、新しい神経細胞となり、その結果記憶力が良くなるのではないかと多くの研究者が考えるようになりました。

1998年、アメリカのソーク研究所のフレッド・H・ゲージ博士らは、おとなのネズミを2つのグループに分けて、異なった環境で飼育した場合に、海馬の構造や記憶力が変化するかどうかを検討しました。第1グループのネズミは、餌や水があるだけの普通の飼育箱に3匹ずつ飼育されました。第2グループのネズミは、探索行動を刺激するガラガラやトンネル状の遊具、運動のための回し車などがたくさん置いてある広い飼育箱中で13匹ずつ飼育され、時々チーズやクラッカーや果物といった違う食べ物も与えられました。このような全く違う環境でネズミを40日間飼育した後で、脳の状態と記憶力を調べました。その結果、刺激が多い豊かな環境に触れた第2グループのネズミたちは、海馬にたくさんの新しい神経細胞ができ、記憶力のテストでも良い成績を示しました(J Neurosci 18: 3206-3212, 1998)。

私たち人間においても同じようなことが起きるかどうかは実験されていませんが、大人の海馬にも神経細胞があり、一生涯を通して神経新生が起こることが分かっていますから、大人でも、海馬を使えば使うほど神経細胞が増えて、記憶力が良くなると考えられます。

大人とはいっても、若い人と年をとった人では違うだろうと思われるかもしれません。確かに、海馬にある神経幹細胞の数は、年を重ねるにつれ徐々に減っていきます。しかしご心配なく。どんなに年をとっても、海馬に神経幹細胞は残っています。

上述したソーク研究所のゲージ博士らは、年老いて記憶力が低下したネズミを、普通の飼育環境から刺激の多い飼育環境に移してみるという実験も行いました。そして、刺激の多い飼育環境に40日間移しただけでも年老いたネズミの海馬で神経新生が起こり、記憶力が向上したというデータを報告しています。

さらに驚くべきことに、2004年アメリカカリフォルニア州のノバック研究所のデイビッド・A・グリーンバーグ博士らは、アルツハイマー病の患者さんの海馬においても、神経幹細胞があり、神経新生が起きていることを見出しました。しかも、同年代のアルツハイマー病でない人よりも、盛んに新しい神経細胞が作られているというのです(Proc Natl Acad Sci 101: 343-347, 2004)。アルツハイマー病になると、海馬の中では、元々あった成熟した神経細胞がどんどん死滅していく一方で、それを補おうとして神経幹細胞が目覚めて新しい神経細胞となり、病気に打ち克とうと戦っているのかもしれません。
 

海馬の神経新生を高め、記憶力を取り戻せるようになる可能性も

年をとっても、アルツハイマー病になっても、海馬には神経幹細胞があり、刺激によって神経が新しく生まれる。この大発見によって、認知症の治療法を探し求めていた研究者たちは大きく勇気づけられました。何らかの方法、例えば薬によって海馬の神経新生を促すことができれば、海馬の萎縮が起こってしまっている重症のアルツハイマー病患者でも、一部回復が可能になるのではないかと期待されます。

今はまだ「絵に描いた餅」ですが、多くの研究者が海馬の神経新生のメカニズムを解明しようと精力的に取り組んでいます。大いに期待してください。
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