東京電力福島第一原子力発電所がある大熊町へ
富岡町を北上し、大熊町に向かいました。事故を起こした東京電力福島第一原子力発電所のある町です。事故直後に国の指示に従い、全町民1万1505人が町外への避難を余儀なくされました。国道6号線沿いには郊外型のチェーン店や娯楽施設が並んでいますが、どこも2011年3月11日のまま放置され、朽ち果て、廃墟となっていました。 市街地を抜けしばらくすると、山林の向こうに東京電力福島第一原子力発電所の建物の一部が見えてきました。車内の空間線量はこの日最大の2.05マイクロシーベルト。体には問題のない数値ですが、降り注いだ大量の放射性物質は、地表に残り続けています。
除染作業の行われていない山林に住む野生動物、特に土を掘ってえさを探す習性のあるイノシシの体内からは、高い放射線量の数値が出ているといいます。それだけ土が汚染されているということです。
汚染された土の行き先は?
大熊町の民家の庭先では除染作業が行われていました。地表部を削り、汚染土や草木などの廃棄物を、黒い袋 (フレコンバッグ) に入れていく作業です。環境省によると汚染された土は、除染現場や仮置き場に“安全に保管”された後、国が建設した大熊町と双葉町の中間貯蔵処理施設に運び、減容化されます。そこで“安全に保管”され、30年以内に県外の最終処分場に運ぶのだそうです。……本当でしょうか。最終処分場がどこになるのか、現在も決まっていません。 福島県内の除染は、帰還困難区域を除いて2018年3月で完了しています。国道6号線沿いには、除染作業で排出された汚染土がフレコンバッグに詰められ、“安全に保管”されている仮置き場をいくつも見ることができました。
県内各地の除染現場や仮置き場に置かれていたフレコンバッグは、トラックに載せられ、中間貯蔵処理施設へと運ばれています。1日当たりのトラックの数は約2400台にもなるそうです。フレコンバッグが積まれているトラックは、「環境省 除去土壌等運搬車」と書かれた緑色のマスクを正面に付けているのですぐにわかります。
誰のための環境にやさしいエネルギーなのか?
原発から20km圏で目立ったのが、太陽光発電システムのソーラーパネルです。原子力の代替エネルギーとして、再生可能な太陽光が注目され、大規模太陽光発電所(メガソーラー)の建設ラッシュが続いています。東京電力福島第一原子力発電所事故の被災地を、再生可能エネルギーの拠点にしようとして誘致に力を入れているのです。福島県内全体でもメガソーラーの建設が進み、その発電能力は2020年6月には全国1位となりました。
……と書くと、環境に負荷をかけない電気を生み出す取り組みに思えます。 しかし、メガソーラーが設置されているのは、農家が米や野菜を栽培していた田畑だった場所です。田畑がなくなってしまうと、除染作業後に帰還したくても戻ることができないでしょう。しかもこれは、地元、福島のための施設ではありません。ここで作られた電気は東京電力が買い取り、関東へ送られているのです。 メガソーラーの向こうには阿武隈高地の稜線に沿って大きな鉄塔が並び、無数の送電線が関東圏へ電気を送っていました。送電線銀座とでも呼びたくなるような景色です。事故を起こした東京電力福島第一原子力発電所で作られていた電気も、この送電線を使って関東に送られていました。
地元の農家が代々受け継いできた田畑が放射線で汚染され、除染後にメガソーラーの畑となり、都会の電気を作る。それが果たして社会や環境にやさしいことなのでしょうか。再生可能なエネルギーの活用という美名の下、福島県の大地を犠牲にして関東に送る電気を作ることは、結局、原子力発電所と同じことを繰り返してはいないでしょうか。
東京電力福島第一原子力発電所の事故を通して私たちが本当に考えなければならないことは何かを、メガソーラーの畑が問いかけているようにも思えました。
まずは知ること。そして考えること
スタディーツアーを案内してくれた里見さんは、「何が正解か不正解かではなく、まずは知ってほしい。知って考えてほしい」と話します。東京電力福島第一原子力発電所で起きた事故は、日本のみならず世界中に衝撃を与えました。そこで起きたことは、福島の人だけではなく、1人ひとりが考えなければならない“エネルギーとどう向き合うか”という問題です。10年経っても変わらない原発事故の被災地の“今”を正面から見据え、私たちの暮らし方も問い直さなければならないのかもしれません。
Fスタディツアーへの受付はサイトから行われています。興味があったらぜひ参加して、東京電力福島第一原発20km圏内の“今”を見に行ってみてください。