東京電力福島第一原発20km圏内…富岡町と大熊町の“今”
2011年3月11日に発生した東日本大震災。大地震と津波によって東京電力福島第一原子力発電所でメルトダウン(炉心融解)が発生し、大量の放射性物質が放出されました。
あの日からもうじき10年。現在、原発周辺はどんな様子なのでしょうか。福島県いわき市の旅館、古滝屋の当主、里見喜生さんがガイドを務めるFスタディツアーに参加し、東京電力福島第一原子力発電所から20km圏内に位置する福島県双葉郡富岡町と大熊町の“今”を見てきました。
帰還困難区域が解除された夜ノ森駅の周辺
最初に案内していただいたのは、富岡町のJR常磐線夜ノ森駅(よのもりえき)。地震や津波の影響はなかったものの、除染しても放射線量が下がらないため建て直された駅です。震災翌日の3月12日、内閣総理大臣が発した「東京電力福島第一原子力発電所から半径20km圏内からの避難指示」を受け、1万5960人の町民全員が町外に避難しました。地震や津波の後片付けをする時間もないままの避難でした。
復興に向けた取り組みが段階的に行われて来ましたが、2020年3月10日、JR常磐線夜ノ森駅周辺の町道と県道約1.1kmが帰還困難区域を解除されました。ちなみに帰還困難区域とは、放射線量が非常に高レベルにあることからバリケードなど物理的な防護措置を実施し、避難を求めている区域のことです。
東日本大震災直後から一部区間が不通のままとなっていたJR常磐線も、同3月14日に富岡駅から浪江駅までの運転が再開されたことで、全線開通となりました。
駅周辺は今もゴーストタウン
喜ばしいニュースですが、実際に訪れてみると駅周辺は静まり返っていました。 それは帰還困難区域が解除されたのは、夜ノ森駅周辺と道路のみだからです。駅前の道路沿いは、人っ子一人いないゴーストタウン。この駅を利用する人は、バリケードで覆われた町並みを見ながら、駅に向かわなければなりません。SFの世界のような話ですが、これが現実です。道路沿いには更地も目立ちました。所有者の許可が得られた家は取り壊し作業が行われたそうです。更地になった家の方は、もうこの町には戻ってこないかもしれません。残された家も許可が得られないだけではなく、所有者の所在が不明だったりもするケースもあるそう……。
帰ってきた人は10分の1程度
夜ノ森と聞くと、桜並木を思い浮かべる方も多いかもしれません。春になると道路の両脇に植えられた約500本のソメイヨシノの大木が見事な桜のトンネルを作り、夜にはライトアップもされる富岡町の名所です。この桜並木の一部も帰還困難区域を解除されました。しかし2020年は新型コロナ感染拡大防止のため、ライトアップなどはすべて中止となっています。10歳だった子が大人になる10年という年月。帰れなくなった故郷を思いながら過ごしている場所が、新しい故郷になるのに充分すぎる時間です。帰還困難区域の一部が解除された今も、震災前の10分の1程度の約1800人の人しか戻ってきていません。
富岡町は2023年春頃の避難指示解除を目指し、夜ノ森地区に居住可能なエリアを設ける特定復興再生拠点区域(復興拠点)を整備しています。そのときに果たしてどのくらいの人たちが戻ってくるのでしょうか。
21.1mの津波に襲われた富岡駅も新駅舎に
富岡町の中心、JR常磐線富岡駅です。ここは東京電力福島第一原子力発電所から約15kmに位置します。富岡駅前地区は最大21.1mの津波の被害を受け、駅舎をはじめ、周辺が壊滅的な被害を受けました。こちらも常磐線全線開通に伴い、駅舎とその周辺が新しく生まれ変わりました。 富岡駅近くの児童公園には、東日本大震災の慰霊碑がありました。これは、震災の際にパトカーで避難を呼びかけながら津波に飲み込まれ、殉職した2人の警察官を慰霊するものです。後日、大きくゆがんだパトカーだけが見つかり、1人の方は震災1カ月後に約30km沖合の海で発見され、もう1人の方は今なお行方不明のままだといいます。>次ページ…ピーピーと音を立てて、線量計の数値が上昇するエリアへ