ミュージカル『オペラ座の怪人 ケン・ヒル版』
8月29日~9月9日=東急シアターオーブ『オペラ座の怪人 ケン・ヒル版』見どころ
1986年のアンドリュー・ロイド=ウェバー版に先立ち、1976年に脚本家・演出家のケン・ヒルがミュージカル化したガストン・ルルーの小説『オペラ座の怪人』。84年に改訂された本作は世界各地で上演され、日本でも93年から5回にわたって来日公演を実施。このほど5年ぶりの来日が実現しました。
本作の第一の特色と言えば、オリジナル楽曲ではなく、既存のクラシック曲を使用している点。グノーの『ファウスト』が劇中オペラとして登場するほか、ビゼー、ドヴォルザーク、オッフェンバックらのオペラ作品から、選りすぐりの名曲が選ばれ、ケン・ヒルが書き換えた歌詞で歌われます。このため音楽的には格調の高い舞台ではありますが、台本には随所にユーモアも盛り込まれ、ふだんクラシック音楽を聴きなれない方でも、敷居の高さを感じることなく楽しめるよう作られています。
そして今回は何といっても、ウェストエンドを代表する俳優、ジョン・オーウェン=ジョーンズが怪人役を演じるのが話題。史上最年少(1998年当時)の26歳で『レ・ミゼラブル』のジャン・バルジャンを演じて以来、ロイド=ウェバー版『オペラ座の怪人』に約2000回主演するなど、常にトップスターであり続けてきた人物ですが、ケン・ヒル版を演じるのは今回が初。彼の“初役”を観られる機会、逃す手はありません。
観劇レポート:円熟の演技が魅せる“もう一つの怪人ミュージカル”
不安を掻き立てる地響きのようなサウンドをバックに、若いダンサー(ジャム)が現れ、バレエの練習をしていると、どこからか投げ込まれる花一輪。「彼よ!ずっと見てたんだわ!」と、彼女は悲鳴をあげて逃げていく……。
幕開けこそホラーめいているものの、続いて現れたオペラ座の支配人秘書レミイが階段の数を間違えて転ぶあたりから、舞台には次第にユーモラスな空気が。怪人に襲われた気の毒な犠牲者の姿が“チラ見せ”ではなく何度も舞台に現れたり、マダム・ギリ―の登場時に大仰なBGMが流れたりといった具合に、“そこはかとなく笑いを誘う演出”が、観客の緊張をほどいてゆきます。
コーラスガールのクリスティーンは歌姫カルロッタの代役に抜擢されるも、恋人ラウルとの仲をオペラ座の怪人に嫉妬され、誘拐される。2幕では怪人の過去を知る謎のペルシャ人が登場、彼とラウルたちによるクリスティーン救出劇が描かれますが、ここでも支配人とマダム・ギリーの間に突然ロマンスが生まれるなど、やはり“そこはかとない笑い”が続々。怪人の残虐さが強調され、クリスティーンの運命やいかにとはらはらさせつつも、決して深刻過ぎるレベルにまでは及びません。
ベテランキャストの円熟の演技
このゆとり、安心感はどこから来るかと言えば、カンパニーの半数以上を占める、本作を何度も演じてきたベテラン俳優たちによるところが大きいでしょう。ファウスト役で、93年以降の来日公演すべてで演出も勤めているマイケル・マクリーンはじめ、この年月ですっかり演目が体になじんでいる彼らは、作品の見せ方を熟知し、台詞や動きの間合いも絶妙。
今回が出演三度目のロイド・スコット演じる、オペラ座の屋上で小鳥の餌やりに現れる男性役など、一分にも満たないであろう出番ですが、不運なキャラクターをなんとも弱弱しく、枯れた味わいで演じ、逆に印象を残します。そんな彼らの緩急自在の演技によって、観客はゆったりと“おなじみの物語”を堪能。この感覚、熟練の役者が揃った歌舞伎の世話物を観ている時のそれにも、どこか通じるものがあります。
密度の濃い歌唱を披露する“JOJ”
そしてこのカンパニーに今回、初登場と相成ったのがJOJこと、ジョン・オーウェン=ジョーンズ。パワフルな歌声の彼が怪人役に配されたことで、本作のこの役が実はそうナンバーが多くないことに気づかされた観客も多いことでしょう。繊細に歌われる一曲目の“While Floating High Above”(原曲はグノー『真珠とり』の「耳に残るは君の歌声」)を含めて、ソロは2曲、デュエットが1曲、三重唱が1曲の計4曲。8曲歌うクリスティーヌと比しても少なく、出番自体も多いとは言えませんが、それにも関わらず揺るぎない歌声とスター性で強烈な印象を残しているのはさすがです。
またロイド=ウェバー版では登場しない“謎のペルシャ人”として唐突に現れ、その力強い歌声と有無を言わせぬ怪演(?!)で2幕を牽引するラッセル・ディクソンは、ロンドンの『トップハット』でもアクの強いベッディーニ役を演じていた人。今後注目していきたい役者の一人です。
もちろん、挿入されるクラシック曲を聴く楽しみも健在。声楽風ではなく、歌詞を粒立てたミュージカルの発声で歌われる楽曲は聴きやすく、“クラシック音楽”の敷居を感じることなく、オペラ座の世界を楽しませてくれます。ついロイド=ウェバー版やモーリー・イェストン版(『ファントム』)と見比べ、聞き比べたくなる瞬間も。改めて“オペラ座の怪人”というモチーフの魅力を再認識させられる舞台です。
『オペラ座の怪人 ケン・ヒル版』公式HP