今後どう働いていくべきなのか
長時間労働、サービス残業、過酷なプレッシャーを与える職場はブラック企業と呼ばれ、何かあれば叩かれ、炎上しやすい社会風潮を生み出しています。そして、昨今は「働き方改革」が推進され、一般的には労働時間の短縮を主軸にした取組みが中心です。しかし、私たち労働者は、一人ひとりの自己責任において働き方を選ばなければ、単に将来のポンコツ作業員を量産するだけになりかねません。たとえば、筋力を強化するには、筋肉に負荷を与える必要があります。フルマラソンを走れる人は、5,000mはなんなく走れます。しかし、5,000mしか走れない人にとって、フルマラソンはしんどいように、自分のキャパシティを上げるには、やはり自分の能力をストレッチさせる時期が必要です。そして、これは仕事力にも同じことが言えるのではないでしょうか。
ちょっと古いですが、「幻魔大戦」というアニメ映画をご存知でしょうか。超能力に目覚めた主人公の東丈(あずま じょう)が、世界に散らばる超能力者を結集する旅をしながら、宇宙の消滅を企てる幻魔と戦うというストーリーです。
物語の冒頭で、彼は後に一緒に戦うことになるサイボーグ戦士「ベガ」に襲われます。そして、ベガに殺されるかもしれないという究極の恐怖に追い詰められたとき、突如超能力が発現します(そのサイボーグも、どうすれば彼の眠っている能力を目覚めさせられるかを知っていたのです)。
マンガにしろ映画にしろ、特殊な能力に目覚めるきっかけは、怒りや悲しみや恐怖が極限に達したとき。おそらく、私たちはそういう局面でこそ、潜在能力が覚醒するのだということを、本能的に知っているのでしょう。「火事場のクソ力」もこれと似ていますよね。実は、人間の筋力は非常に強大で、100%の力を発揮すると、その負担によって腱が切れたり骨が折れたりすることもあるそうです。
そのため、常に力をセーブするように脳が命令しているわけですが、生きるか死ぬかの非常事態には、このリミッターが解除され、筋肉が本来持つ力が出せるようになる。だから普段では持ち上げられらない重い荷物も運び出せる、というメカニズムだそうです。
限界を超えた先にしか得られないものが存在する
「人体に並外れた負担を与えると、DNAの様々な休眠遺伝子が発現して、特別な生理的プロセスが活性化される」という記事をサイエンス雑誌で読んだことがあります。たとえば、長距離ランナーが過酷な練習を続けていると、やがて体中の細胞が、練習による代謝需要に応じて組み直されます。その一例が、筋肉に血液を供給する毛細血管の増加や、ヘモグロビンの増加、心臓の肥大化によるポンプ能力の増大などです。これらの「超能力」も「火事場のクソ力」も「休眠遺伝子の発現」も、ポイントは「限界状態」「並外れた負担」です。自分に負担を与えず、8分の力でやっていたのでは、いつまで経っても自分の隠された潜在能力は開眼しない。しかし、人並みはずれた負担を自分に強いれば、眠っていた遺伝子が発現し、何らかの能力が目覚める可能性があるのです。
だから私は、20代のころから「質より量」作戦できました。量をこなせば、その仕事・分野・領域において急速に習熟度が進み、スピードが上がり、質に転化する。量をこなせば、人より多くの経験値を積み上げることができ、それはやがて差別化となる。そうした上達のコツの蓄積によって、新しい分野でも素早くポイントを掴み、短期間でキャッチアップできるようになるのです。
しかし、労働者の権利を振りかざし、ブラック企業だと叩く人には、自分の才能を開花させるにはどういう働き方が必要なのか、そういう発想すらないでしょう。企業は労働法を遵守しなければなりませんが、個人は働き方を自分で選ぶことができます。
つまり、長時間労働をする自由もあれば、サービス残業をする自由もある。社会の風潮がどうこうではなく、政府の旗振りがどうこうではなく、自分の能力を活かす方法は何か、自己責任において決める必要があるのです。
【参考】
「33歳で資産3億つくった僕が43歳であえて貯金ゼロにした理由~使うほど集まってくるお金の法則~」(日本経済新聞出版社)
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