死神リューク役・石井一孝インタビュー
「“ありんこの右往左往”を眺める如く、
人間界を眺める死神役を楽しんでいます」
~『デスノート』の音楽解説付き~

石井一孝undefined東京都出身。92年に『ミス・サイゴン』で舞台デビュー後、『レ・ミゼラブル』『CHESS THE MUSICAL』『小林一茶』等多数の作品に出演。シンガーソングライターとしても活躍、6作目のアルバムが発売中。(C)Marino Matsushima

石井一孝 東京都出身。92年に『ミス・サイゴン』で舞台デビュー後、『レ・ミゼラブル』『CHESS THE MUSICAL』『小林一茶』等多数の作品に出演。シンガーソングライターとしても活躍、6作目のアルバムが発売中。(C)Marino Matsushima

――今回、石井さんが演じられる死神リューク役は、吉田鋼太郎さんが演じた初演を観る限り、かなり“叫ぶ”お役ですね。

「台詞っぽい歌ですよね。というのも、演出の栗山(民也)さんが、いかにも歌というふうに歌いあげるのが好きでなくて、つい歌いあげると“それ、歌に聞こえるんだよね。これはショーではなくて、芝居だから”とすぐ指摘されます。そうだよな、と栗山さんのアドバイスに寄っていくと、自然に台詞の延長になるんです。叫ぶような、喋るような歌に結果的になってきていると思うけど、僕はもともとロッカーなので、シャウトは大好きなんですよね。だから違和感は全然なくて、楽しいです」

――原作には親しんでいらっしゃいましたか?

「漫画は全然読んだことがなくて、何の知識も無いままミュージカル版の資料映像を拝見して、すごくいい作品だなと、めちゃくちゃ感動しました。それから漫画を全巻買って読み始めましたが、読むのが遅いんですよね。もう3か月経ちますけど、まだ9巻です(笑)。というのも、僕、漫画が大好きなんですが、擬音を大事にする男でね、ビシッとかウンッとか、全て丁寧に読んでしまう(笑)。でも藤原竜也さん主演の映画版も観ていますし、自分なりに研究は重ねています」

――どういう作品という印象をお持ちですか?

「『天使にラブソングを』の博多公演の時に、指揮をされていて、『デスノート』の音楽監督も担当されている塩田明弘さんに“カズさん、この作品のテーマはね、リュークの退屈なんだよ。それが全ての発端で帰結点でもあるんだ。だから君は大事なんだぞ”というようなことを言われて、その時はまだよくわかっていなかったけれど、確かにこの作品は、リュークが退屈を嫌って面白いことを探しに出る、人間界への逃亡劇みたいなものなんですよね。それが結果的に(月に対して)“飽きちゃったんだよ。ここに来たら退屈でなくなるかと思ったけど、しょせんお前も退屈な人間だったんだな”と言う結末に辿り着く、そのプロセスが面白いですよね」

――ノートを落としてからのリュークは、ただただ楽しもうとしているのでしょうか。

「すべてが楽しいんですよね。だから僕自身、人間界に降りてからエンディングまで、ひたすらやっていて楽しいです。やってみて分かったんですが、僕以外のほぼすべての登場人物が悩んでいるなかで、リュークはなんにも苦しんでいない。楽しくてしょうがなくて、ただ一人快楽を享受しています。役者は(演じる役の)精神や役を纏うものだから、稽古場でも本番でも楽しくてしょうがないですね(笑)。これまで『チェス』のアナトリ―とか『スカーレット・ピンパーネル』のショーヴラン、『レ・ミゼラブル』のマリウス、ジャン・バルジャンと影を背負っている役が多かったなかで、リュークは全く背負ってなくて、ただひたすら楽しい。それがリュークを演じるのに一番大切なことなのかなと思っています」

――今までにないタイプのお役でしょうか?
『デスノート』2015年の舞台より。写真提供:ホリプロ

『デスノート』2015年の舞台より。写真提供:ホリプロ

「人生初めてです、この路線は。これまで演じた役はどこか悩んでいたり、葛藤があったけれど、リュークは全く悩まない、これがとても新鮮で。快楽をむさぼるために人間界に降りてきて、面白い奴いないかなと思っていたら格好の人物、月という、ものすごい勝気でしたたかな子に出会うんです。野心に満ち溢れてる月みたいなタイプは死神界には存在しないので、月のやることなすことが非常に面白い。“地獄に叩き落してやる”と月が言うのを、“地獄なんかねえんだよ”と思いながら眺めているわけです」

――リュークは劇中何度もリンゴを食べたがりますが、リンゴとは何かの象徴なのでしょうか?

「“俺にとってのリンゴは人間にとっての酒やたばこなんだよ”という台詞がありますが、リュークは死神界でもリンゴを食べているんですよね。ただ、そこでのリンゴは蜜があるジューシーなものではない、と栗山さんはおっしゃっていました。死神界は不毛な砂漠みたいなところだから、リンゴも砂みたいな味がすると思うんですよ。それが人間界に来てみたらリンゴがジューシーでとても美味しい。キューバに行ったらタバコが日本よりおいしく感じる、みたいな感じじゃないですか? でもせっかく日本に来たのだから、僕としてはおにぎりとか食べて欲しいですよね、“米ってうまいな”とか言いながら(笑)」

――ミサミサのコンサートではお客さんを代表して(?)踊っていますが、あれはアドリブではなくそういう演出でしょうか?

「これは演出ですね。栗山さんからは、リュークは音楽もコンサートも体験したことがないので、突然ステージに乗ることになってしまい、場内アナウンスや観客の歓声にもいちいちビビッてくれと言われています。ビビる死神(笑)。これは栗山さん流の秀逸で粋な演出で大好きです。そしてミサミサの歌声と存在に次第に心が踊って、どきどきしたりときめいたり、あれぇ不思議だなと思うようにしています。気が付くと手拍子ってこうやるんだとまねていたり、ダンサーに負けないくらい踊ったりノリノリ。栗山さんからはもっとお客をいじってもいいといわれていますので、踊り疲れた体力と相談して頑張りたいと思います」

――月は正義感のために破滅してゆきますが、それに対してリュークは“人間ってバカだな”という感覚を抱いているのでしょうか?

「はじめに“退屈だ”と感じているくらいなので、リュークはほかの死神に比べたら多少感受性が強いと思いますが、月が正義感をもってノートに名前を書いていく様子を見て、バカだなというより面白がっていると思います。へえ、それで殺すとどうなるんだろう、あぁ君は満足するんだ。へえぇ、と面白がる。今回、リュークをやるにあたって漫画を読んだり栗山さんの話を聞いたりして、リュークにとっての人間は、人間にとってのありんこのようなものなのかなと思いました。そんな存在に対して“見ろよ地面にはりつき蠢き”と言う。人間はありんこを踏みつぶしても、特に心は痛まないし、ありが結婚しようが病気になろうが、ありの研究者でもない限り特に関心はない、そんな感じなんじゃないかと思います」

――ギリシャ悲劇の神は人間と交わろうとするけど、この死神は本当に“上から目線”なのですね。

「そうですね。貴族が大衆を見ているというような近い存在ではなくて、やっぱりありんこを眺めるような感じかなと思います」

――近年、いわゆる悪役の多い石井さんですが、一つ路線を確立したところでのこのお役です。
『デスノート』2015年の舞台より。写真提供:ホリプロ

『デスノート』2015年の舞台より。写真提供:ホリプロ

「悪役専門になってるつもりはないですけど(笑)、楽しいですよね。リュークについては、悪役という感じはしなくて、楽しんでいる人みたいな感じですけれど、人間って面白いよねと言っていた彼が、月とLの対決の直後に突然“でも俺、飽きちゃったんだ”と、月を始末しようと、デスノートに名前を書く。そこが一番悪役っぽい。この突然の豹変はなぜだろうと思って、栗山さんに“この意識の流れはどこをどうとらえて演じたらいいでしょうか”と相談したんですよ。そうしたら栗山さんは“脈絡は無い方がいい。人間は殺すまでに心のプロセスが必要で、こいつむかつくとか、こんなひどいことをする奴は生かしておけないとか、何らかの理由があったり、あるいは狂気によって殺人を犯すけれど、リュークの場合は人間じゃないから、思考のステップは必要ない”とおっしゃるんですね。

そう聞く以前、僕の中には、月がLという凄まじいライバルとデッドヒートを繰り返した後に彼を倒して、新世界の神となるのを止めたかったのかなという考えがありましたし、死神レム役の濱めぐ(濱田めぐみ)さんと話しててそれも一つかなと思ったのが、初演の時に栗山さんがちらっと言っていたらしいんですが、レムがミサミサを助けて死ぬという、いわば人間がありんこの犠牲になる様を見せつけられて、月の一連の行為が一線を超えたとリュークが判断したのかもしれない。このリューク豹変の謎については、これが正解だと決めつけるのではなくて、お客様それぞれに感じて、考えていただきたいところです」

――ミュージカル・ファンの中には、本作のタイトルだけを見て“2.5次元的なミュージカルなのかな”と思う方もいらっしゃるかと思います。

「全然2.5次元ぽい感じはしないです。最初に資料映像を観た時はストプレ(ストレートプレイ)みたいだと思いましたね。栗山さんの求めてる演劇像がそうさせるのだと思います。いろんなミュージカルをやってきましたけれど、かなりガチな、ストプレチックなものを感じます。ストプレを中心に観ている方が御覧になったら、意外に自分のテリトリーに近いと感じるかもしれません。考えさせられるし、心を大きく動かされる“大人な作品”だけど、それが高校生が主役ということで、若い子が観ても等身大の物語に感じられる。うまい着地点だなと思います」

“ワイルドホーンの新時代の幕開け”を感じさせる
『デスノート』の音楽独特の
「展開」「抑制」「太いメロディ」

――ワイルドホーンの音楽はいかがですか?

「これが素晴らしいんですよ。僕は自分で曲も書くので分析して歌ってるんですけど、ワイルドホーンの特色というのは壮大で劇的で、『ジキル&ハイド』のように、マイナーコードを主体としたスタイル。どんなアプローチをしてもすーっと耳を通り抜けるのではなくて、劇的になるんです。それが今回は、これまでの作品とは違ってポップスっぽい、ちょっとロックミュージカルな側面があるんですよね。『ジキル&ハイド』や『スカーレット・ピンパーネル』といったグランド・ミュージカルのオーケストレーションではなくて、バンドスタイル。4リズムという、ドラム、ベース、ギター、ピアノの4つのリズムが主体のバンドサウンドが主になってて、ポピュラーなんですよ、多くの曲が。アレンジの力も大きいと思うんですけど、新しいアプローチで聞こえるんですよね。

僕はレコード・コレクターなので、実は彼がミュージカルを書く前からポップスの作曲家として知っていて、ホイットニー・ヒューストンのナンバーワン・ヒットを書く前から追いかけていたので、時代が一回りか二回りして、もともとポップス作家だったところに戻ったかなと感じますね。ミュージカルの世界で切り開いたすべてのノウハウをひっくるめたうえで、ポップスの作家だったワイルドホーンのフィールドにもう一つフィードバックされてるんじゃないかなという気がします。そしてそれが実に彩り豊かで、『スカーレット・ピンパーネル』や『ジキル&ハイド』を書いた人がポップスを書くとこんな新しいアプローチになるんだと感じますね。

また今回は日本を舞台にしていることで、奥様(和央ようかさん)をはじめ日本の関係者からいろいろ助言があったかもしれないですよね。特にミサミサが歌うアイドルソング『恋する覚悟』は典型的なアイドルソングですが、日本の歌謡曲のコード進行と洋楽のコード進行って違うんですよ。メロディ付けが違う。僕は洋楽ばかり聴いているから自分で曲を書くときも洋楽っぽくなりますが、J-POPが好きな外国人からすると、僕らがお洒落に感じる16ビートの曲は“普通”でしかなくて、むしろ分かりやすいコード進行の日本の歌謡曲のほうが面白いらしいです。ミサミサが“I’m ready, yes, I’m ready”と歌うサビの分かりやすさが新鮮なんですよ。それを、時代を二回りして書くワイルドホーンは凄いと思います。

あと、レムの『愚かな愛』のように、本来ならいろいろな展開が得意な作家なのに、転調もしない、抑えたメロディも本作の特徴です。日本的というか。ポップスでは普通、Aメロ(ディ)・Bメロ(ディ)・サビというふうに展開していくけど、ミュージカルはそう行かないんです。Aメロ・Bメロ・サビ・Dメロ・Eメロ・サビの転調……みたいに、展開するごとに全部調が変わってくることが多いんですよ。『レ・ミゼラブル』の『On My Own』などはその一例ですね。ミュージカル独特の進行なのだけど、作曲家としては、ドラマティックにするには調を変えたくなるのでしょうね。ワイルドホーンはそれがとても得意な作曲家です。転調して最後にロングトーンになると多くのミュージカル・ファンはぐっとくると思いますが、そこをくすぐるような曲を書くのが彼は得意で、『スカーレット・ピンパーネル』の時にも、石丸(幹二)さんに“僕の曲は最後に転調してロングトーン、これで決まるからよろしく頼むよ”とおっしゃっていたそうです(笑)。

その彼が、『愚かな愛』では調も変えず、一つの世界をずっとキープしている。ミュージカルとしては珍しい曲に仕上げています。いわば、フォークボールが得意なピッチャーが、フォークを使わず、ストレートで三振をとるようになった。七色に変化するばかりじゃなくて、ずっと茶色でもいいんじゃないかというように、色使いが変わった。これは冒険ですよね、作家としては。でも類まれなメロディセンスと、転調に転調を次ぐメロディを書いてきた作家がそこに辿り着く、わざとワントーンとかツートーンの曲を書いたことで、全体がふくよかになっている気がしますね」

――それぞれに染み入りますね。

「ええ、ドラマティックな曲も、ドラマティック過ぎない曲も、J-POPもあって面白いですよね。日本発の、日本をテーマにした作品をアメリカ人が書くというシュールな構図だけど、奥様は日本人だし彼も日本がとっても好きで、その彼が“僕にも日本人の魂があるんだよ”という気持ちをもって、楽しんで日本のオリジナルミュージカルを書いている、と感じます」

(ここで本作のプロデューサーより、今回、ワイルドホーンにとっては芝居を重視する栗山民也さんという演出家と組むことになり、いわばフォークを使えない状況になったことも、ふだん投げない球種を投げるきっかけになったのかもしれない、という情報が。)

「それは面白いですね。普段使っていない球種だけでも全然いける。フランクはこれから、さらに突き抜けた世界屈指の作曲家になります。本当に素晴らしい才能なんです。『デスノート』で新たに尊敬の念を抱きましたね。さきほど、演劇ファンも唸るんじゃないかという話をしましたが、音楽ファンの視点からみても面白い作品ですよ。

もう一つ、『デスノート』はメロディが甘くて、いいんです。メロディには“太いメロディ”と“細いメロディ”というのがあって、バッハの時代から300年、ポップスが生まれて100年経ちますが、すべてのメロディはビートルズの時代に出尽くしたと言われていて、それはある意味正しいんです。ガーシュインやコール・ポーター、レノン・マッカートニーたちがあまりにも美しいメロディラインやコード進行を全部使ってしまったので、あとは焼き直しと言われるくらい、本当にいいメロディは出尽くしたと言われてる。以後の人々が曲を作っていても、どこかで聞いたことがあるようなメロディになりがちなんですよ。僕も曲を書いている身として、それは痛切に感じます。で、それを回避するために無いもの、無いものにいくと、どんどん細いメロディになってしまう。太いメロディというのは、例えば“ド~はドーナツのド~”みたいな分かりやすい、王道っぽいメロディのことですが、それとは違うものを書こうとすると、どんどん細かくなって耳に残らない。

今の作曲家にとってはこれが一番難しいのですが、そんななかでワイルドホーンやロイド=ウェバー、クロード・ミシェル、ポップスならスティービー・ワンダーといった作曲家は太いメロディを書き続けているのが偉大なんです。神から与えられた才能だと思います。『デスノート』は、そんな彼にとって新しい扉を開いた手応えの作品ではないでしょうか? 溢れる才能が零れちゃったんですね(笑)。フランクの新しい時代の幕開けの作品に出演出来て、心から幸せです」

*次頁で2017年版舞台の観劇レポートをお送りします!