『ビリー・エリオット』観劇レポート
希望に満ちたサクセスストーリーと
敗北者たちのドラマが拮抗し、
深い余韻を残す
『ビリー・エリオット』プレスコールより。(C)Marino Matsushima
*“ネタバレ”を含みます。未見の方はご注意下さい。
小さな男の子が見つめる、モノクロのニュース映像。「第二次大戦の終結後、国有化されていた英国炭鉱業は、サッチャー政権の改革の標的となる。1984年、首相が合理化に着手。炭鉱組合はそれに対して、徹底抗戦を宣言した……」
ドラマの背景が語られたところで、紗幕の向こうには炭鉱の町ダラムの人々が現れる。スト突入の知らせに高揚し、気勢を上げて歌う人々。彼らをよそに、11歳のビリーは自分を持て余し気味にぽつねんと腰かけている。少し前に母親を亡くし、炭鉱夫の父と兄、そして時々ボケてしまう祖母と暮らす彼は、父の意向でボクシング教室へと向かい、バレエ教室の一団に遭遇。講師のウィルキンソンに天賦の才を見出され、自らも喜びを覚え始めるが、父に見つかり、バレエを禁じられてしまう。しかしダンスへの衝動は抑えきれず、彼のひたむきさはやがて父を、そしてコミュニティをも動かしてゆく……。
『ビリー・エリオット』プレスコールより。撮影・阿部高之
上流階級の子女の世界である王立バレエ学校に、炭鉱夫の息子が挑む。それがどれほど突拍子もない挑戦であることかは、ビリーのレッスンと炭鉱夫対警官隊の対立が複雑に交錯するナンバー「Solidarity」(振付・ピーター・ダーリング)や、芸術に疎い町民たちの台詞、オーディション会場でのビリーの父と他の保護者のかみ合わない会話等で繰り返し印象付けられます。しかしその“高すぎる壁”に、ビリーはバレエへの情熱のみをもって挑む。バレエへの憧れが炸裂する「白鳥の湖」(未来の自分=オールダー・ビリーとのパ・ド・ドゥ)や、オーディションで“踊っている時の気持ち”を歌い踊る「Electricity」は、演じる少年の驚異的なパフォーマンスも手伝って、観る者の心を大きく揺さぶります。
『ビリー・エリオット』プレスコールより。(C)Marino Matsushima
しかしそんな“少年のサクセスストーリー”に終始せず、そこに時代の変遷の中でもがきつつも取り残されてゆく“名もなき民”のドラマを拮抗させているのが、本作の大きな特徴。映画『日蔭のふたり』やストレートプレイ『インスペクター・コールズ(夜の訪問者)』等で人生の敗北者、弱者たちへの共感をモットーとしてきた演出家スティーブン・ダルドリ―の作品らしく、ビリーが未来への切符を手にした瞬間にストは終了、町の主要産業が早晩消えてゆくだろうことが強調されます。戦いに敗れた炭鉱夫たちはそれでも胸を張り、団結を歌いながら地下へと潜ってゆく。幕切れの舞台上に一人残るビリーの親友マイケルの姿には、やがて廃れ行く町で生きて行くしかない“名もなき人々”への共感が投影され、深い余韻を残すのです。
『ビリー・エリオット』プレスコールより。(C)Marino Matsushima
古来、日本人の血には“判官贔屓”的な敗者への共感が流れていることも手伝ってか、今回の日本版はこの“影”の表現に味わいがあり、前述の複雑な「Solidarity」のフォーメーションやクリスマス・パーティーのくだりでのキャストの団結ぶりが、舞台下に吸い込まれてゆく炭鉱夫たちの姿にいっそうの哀感を漂わせます。
『ビリー・エリオット』撮影・田中亜紀子
中でもビリーの父役、吉田鋼太郎さんと益岡徹さんが醸し出す土臭さは格別で、彼らがクリスマス・パーティーで亡き妻を偲び、万感を込めて歌うフォークソングは、今回の舞台で一番の“聴きどころ”と言えるかもしれません。またビリーが「Electricity」で父の周りを回転する際、息子の踊りを一瞬たりとも見逃すまいと次々に方向を変える姿には武骨な父の愛が溢れ、踊りが終わって“あいつ俺の息子なんです”と審査員に向かって言う台詞は、父の思いのみならずコミュニティ全体、そしてビリーに心を寄せて来た観客の思いを代弁。(吉田さんが九州弁でくさびを打ち込むように叫ぶのに対して、益岡さんは標準語で放心したようにこの台詞を発しています)。
『ビリー・エリオット』プレスコールより。(C)Marino Matsushima
ビリーの才能に気づき、育てようとするウィルキンソン役・島田歌穂さんは、明瞭な台詞で芝居をリードし、ビリーの父に怒鳴られても一歩も引かない強さが魅力。カーテンコールでのチュチュ姿は、一部の観客にとって“『がんばれ!!ロボコン』のロビンちゃん”を彷彿とさせるボーナスかもしれません。いっぽう柚希礼音さんのウィルキンソンには、現役時代を容易に思い出させる華があり、ビリーに抱きつかれてとまどいながらも“母の愛”をおすそ分けするくだりでは、柚希さんの女優としての新境地がうかがえます。藤岡正明さん演じるビリーの兄役には炭鉱夫らしい気骨が溢れ、中河内雅貴さんの兄はシャープでやんちゃな風情。おばあちゃん役の久野綾希子さんはもう引き返せない自身の人生を嘆く「Grandma’s Song」をスケール感たっぷりに歌い、根岸季衣さんは“厄介だが愛すべき”おばあちゃん像を体現。ビリーが夢想の中で共演する未来の自分=オールダー・ビリー役・栗山廉さんは優雅なたたずまいと動きがビリーの“理想像”にふさわしく、大貫勇輔さんの頼もしさ漲るオールダー・ビリーはビリーの輝かしい未来を予感させます。
『ビリー・エリオット』プレスコールより。(C)Marino Matsushima
ボクシング教室の先生で父の炭鉱夫仲間ジョージ役・小林正寛さんには生活感と憎めない粗雑さがあり、ウィルキンソンの教え子役の女の子たちは、先生の教えに忠実にとばかりにそれぞれの個性を際立たせ、“揃わずに”踊る姿が生き生き。(筆者が観た)マイケル役の山口れんくん、持田唯颯くんはビリーの心を開放する「Express Yourself」等でユーモラスな中にも芯の強さを覗かせ、幕切れにマイケルが一人、舞台に取り残される光景を決して寂しいものではなく、“取り残された者たち”の微かな希望として、力強く印象付けます。また8月からビリーを演じる山城力くんはトール・ボーイ役(トリプル・キャスト)でのびのびとした演技を披露。異なる役で作品世界を見渡した上でのビリー役デビューへの期待がいや増します。
『ビリー・エリオット』プレスコールより。(C)Marino Matsushima
そしてミュージカル史上、最もタフな役の一つであるビリーを、今回の日本公演で演じるのは加藤航世くん、木村咲哉くん、前田晴翔くん、未来和樹くん、山城力くん。まずは未来ビリー、前田ビリーを観たところ、二人とも多彩なスキルを要するナンバーの連続をものともせず、最後まで素晴らしい集中力で演じ切っています。そのうえで、未来ビリーは内向的であることに加え、母の死を引きずって欝々としていた少年が自分の夢中になれる世界に出会い、打ち込んでゆく過程を丁寧に表現。初めてバレエというものに出会った後、無心に影絵遊びをする姿に詩的な美しさがあり、はっとさせられます。また本来はきれいな歌声をもちながら、「Electricity」では敢えて歌いあげず、思いをぶつけるように歌唱をスタート。言葉では表現しきれないとばかりに踊り始める瞬間へと、自然に移行させています。いっぽう、前田ビリーはバレエを体得してゆくさまが直感的、本能的。天賦の才が目覚める瞬間とはどういうものかを、まさに“目撃”するかのような気分にさせ、「Electricity」では彼のために新たにアレンジされた“ヒップホップ・バージョン”で観客を魅了します。残る3人がそれぞれどんなビリー像を見せるか、また公演期間中にどう“進化”してゆくか。演じ手が少年であるだけに未知数の部分も多く、一度の観劇では“観おおせた”とは言い難いのも本作の特色です。
『ビリー・エリオット』プレスコールより。撮影・阿部高之
海外スタッフとともに1年以上にわたって主役を育て、漸く幕をあけた日本版『ビリー・エリオット』。英国版の製作段階から上演権獲得に向けて動いていたホリプロの
社長曰く、本プロジェクトは想像をはるかに超える労力を要したそうですが、その甲斐は十二分にある、画期的な舞台が誕生したと言えるでしょう。開幕直前の段階では“再演はこれっぽっちも考えていない”とのことで、ミュージカル・ファンを自認する方には見逃せない、11月4日までの公演です。