愛する人の突然の死……身近な人の死から学ぶこと
愛する人との死別で学ぶこと
愛する人とはもう会えないどころか、もうこの世にはいないという事実は、人に絶望させるものです。
でも、人は皆、いつかは死にます。つまり、愛する人との「死別」は、誰もが必ずと言ってもいいくらいに経験する悲しい出来事なのです。
私たちは大切な人との死別を通して、どんなことを学べばいいのでしょうか。
実は、私の友人でも、2人がパートナーに先立たれています。1人は自殺、1人は心不全による急死です。どちら人も急なお別れになったこともあり、心はパニックになり、現実をなかなか受け止められなかったようです。
そんな友人を通して、私が気付いたことがあります。それは、「死別」の出来事は、亡くなったのはパートナーの方ではあるけど、実は、「残された者にとっての試練」なのだということです。
スピリチュアル的には、肉体は死んでも、魂は永遠だと言われています。他界した人は肉体的な死を迎えることで、痛くもかゆくもなくなり、また肉体を持つ故の、物質的な不安や苦しみからも解放されます。その上で、私たちを見守ってくれることも多いでしょう。
だからこそ、亡くなった人を心配したり、可哀想がったりする以上に、残された私たちが、その出来事を通して、「今後、どんな生き方をするのか?」「どうやってこの悲しみを乗り越えるのか?」の方に目を向ける必要があるのです。
では、「死別」が、“残された者にとっての試練”なのであれば、一体その出来事を通して、私たちは何を学ぶべきなのでしょうか?
<目次>
愛する人の死から学ぶこと1:命は永遠ではない
愛する人の死を悲しんでいる私たちですら、いつかは必ず死にます。普段は死とは無関係に生きていても、自分の死がいつ訪れるのかは、誰にも分かりません。それは、もしかしたら明日かもしれないのです。でも、死があるからこそ、「どう生きるのか?」が問われます。死んでから、「あれをやっておけばよかった!」なんて後悔しないためにも、日々、出来ることはやっておいた方がいいし、老後ばかり不安がって日常を楽しまないで生きるよりも、「今も楽しむ」ように生きることは大事でしょうしね(だからって、「貯金をするな」と言っているわけではないですよ?)。
人は死を意識するようになると、目先のことではなく、「人生というレベル」で物事を見るようになります。そうなったときに、「人生において、大切なこと」に気付くことも多いものです。
自分にとって「“生きる意味”とは何なのか?」というのを考えてみることは、とても大切なことです。
「家族を愛すること」「自分の能力を通して、世の中を良くすること」「死ぬまで作品を作り続けること」「ただただ寿命まで、この命を全うすること」……など、答えは人によってそれぞれ違うでしょう。正解はありません。“自分にとっての答え”を見つけることが大切なのです。
例えば、もし今、「人生がつまらない」と行き詰っている人は、「もし自分が半年後に死ぬのだとしたら、今、何をするのか?」を考えてみて、実際に行動を起こしてみるのもいいでしょう。それこそが自分の“本心”なのです。
普段は、目先のことばかりに追われていても、“人生というレベル”で物を見たときには、大切なことが変わってきます。そこには、「自分がどんな人間として、この世界で存在していたいのか」というのも問われるものでしょう。
死があるからこそ、生があるもの。大切な人が自らの死を通して、「死の身近さ」を教えてくれたのであれば、残された私たちはどう「生きる」のか?それこそが、私たちが学ぶことなのです。
他にも、大切な人との死別を通して、私たちが学べることがあります。
愛する人の死から学ぶこと2:この世界は“目に見えるもの”だけではない
命は永遠ではないからこそ、一生懸命生きる!
つまり、亡くなった人の魂はまだ存在しているのです。それを実際に感じる人もいれば、信じている人、逆に信じられない人もいるでしょう。
正直言えば、自分も死んでみないと、死んだらどうなるのか?なんてことは分かりません。でも、大切な人が亡くなってから、なぜか自分にチャンスが来たり、今まで悩んでいたトラブルが解消したりする人も多くいます。
実際に、先ほどのパートナーが亡くなった友人の1人は、それまでずっと解決できなかった問題が、急に解決し出しました。またそれだけではなく、その後、1年後くらいには運命の人に出会い、結婚したんです。
そんな彼女の人生の変化を見てきた私としては、「彼(※亡くなった彼女のパートナー)らしいな」と思ったものです。ちゃんと見守ってくれているものなんですよね。
私自身は無宗教ではありますが、目に見えないものの存在は信じています。だから、普段から「お天道様が見ている」と思っています。
結局、私たちは“目に見えない存在”を信じることで、より上っ面なところだけをきちんとしておこうと思うところから、誰が見ていなくても、しっかりやっていこうと思えるようにもなるものです。生身の存在は見ていなくても、見えない存在は見ているかもしれないですしね。
でも、それこそが、「自分の人生をより輝かせるために必要なこと」でもあるのです。人は、自分を誤魔化していたって、幸せにはなれないものですしね。
たとえ誰かに評価されることがなくても、自分の生き方に胸を張れる人でありたいものですね。
愛する人の死から学ぶこと3:命は、長さこそが重要というわけではない
「命は長さよりも濃さだ」と言う人がよくいますが、その「濃さ」とは何でしょうか?もし幼いうちに亡くなってしまったら、「濃くなかったのか?」なんて不安になりがちですが、そんなことはありません。スピリチュアル的には、寿命(死ぬタイミング)は、「生まれてくる前に決めてくる」と言われています。
もし私たちが、「魂を磨く」ために生まれてきているのであれば、死ぬときには、「今生で学ぶべきことは学び切った時」とも言えるので(※人によって「学ぶレベル」は違います)、ある意味、神様からは、「よくできました!」という“はなまる”をもらった状態である、とも言えるのです。つまり「命の濃さ」とは、「今生でのテーマを達成できたか」ということなのです。
中には、まだ生きていたかったのに、病気で亡くなってしまった人もいるかもしれません。でも、もしその人にとっては、「命の尊さ」を学ぶことが今生のテーマだったのであれば、やはり「学び切った」と言えるのです。
生きている私たちにとっての「死」と、あの世での「死」に対する思いは、180度違うものだと言われています。こっちでは「悲しいこと」ですが、あっちでは、「祝福(「達成、おめでとう!」)」なのです。
だからこそ、亡くなった人の命が長いだろうが、短いだろうが、「彼(彼女)は、生き切ったのだ」と信じてあげることも、相手への供養の1つとして大切なことと言えるのです。
まだ「死別」を通して、学べることはあります。最後に紹介するものは、一番難易度が高いことかもしれません。
愛する人の死から学ぶこと4:亡くなった人に心配をかけない生き方をする
亡くなった人と共に生きていく
とはいえ、悲しみを乗り越えようと頑張りすぎると、心が壊れてしまうので、泣きたいときは思いっきり泣きましょう。辛いのは当たり前のことなので、きちんと自分を労わり、癒してあげることは重要です。
愛する人の死を受け止めることは、とても辛いことです。でも、死別に限らず、どんな悲しい出来事でも、そこから乗り越えるために大切なことは、「その事実をきちんと受け止める」ことです。それをすることで、先に進めるからです。
死別を受け止めたときから、亡くなった人との“新たな関係”が始まります。むしろ、亡くなった人がいつも傍いてくれていることを信じ、共に生きていけるのです。それは、生きていた頃よりも、もっと身近な存在になると言えるでしょう。こんなに心強いことはないですよね。
残された私たちも、いつか死ぬ時が来ます。それは、必ず、です。だからこそ、この命を卒業するときまで、精一杯生きていきたいものですね。それを、先立った人は教えてくれているのだから。
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