自分が「恋」を抱いている場合は?
あなたがしたいのは、恋?それとも愛?
お互いが「恋」を抱いている同士だったら問題ないのですが、恋人が「愛」を抱いている場合は、「2人のルールが違う」ことをよく理解し、自分も少しずつ、「愛するとはどういうことか?」を学んでいく必要があります。
愛は与え合う関係なので、自分の足りなさを人で埋めようとしている状態の時は、まだ人を愛することは難しいです。また、自分を愛していない人は、人のことを愛することはできません。
だからこそ、少しずつでいいので、自分を愛し、精神的な自立を学んでいくのです。自分で自分の価値を認め、受け止め、1人でも立っていられる人になることが重要なのです。
例えば、「寂しいから会いたい」と「好きだから会いたい」は違います。
「寂しいから会いたい」は敢えて言うなら、「暇だから会いたい」の方に近いです。
つまり、前者は「自分の足りなさを相手の存在で埋めようとしている行為」であり、後者は「相手に愛を注ごうとしている行為」とも言えます。寂しいからではなく、「相手の笑顔を見たいから、会いたい」くらいになれるように心がけてみましょう。
少なくとも、“愛情の試し行為”は、相手を不幸せにする行為です。自分が満足するために相手に嫌な気分にさせてしまうことは、愛ではありませんよ?
恋人が「恋」を抱いている場合は?
人を“愛せる人”になれるかどうかは、個人差があります。中には、一生かかっても分からない人もいます。それはある意味、“目覚め”(もしくは、悟り)に近いものであるからです。だから、相手が愛せるようになるために、いくら強く勧めたとしても、本人の強い意思がないと難しいこともあるのです。
ただ、人との出会いは偶然ではなく、何かしらの大きな力によって与えられています。つまり、「愛」を抱いている自分に、「恋」を抱いている相手が出会ったのには、必ず意味があります。
「相手が今、愛を学ぶタイミングである」とも言えますし、逆に「自分がもっと大きな愛を学ぶために出会っている」のかもしれません。
だったら、「相手に優しく教えてあげる」というのも大切なことです。
もちろん「恋をしたがっている人」にとっては、愛というのは、物足りなさを感じるものでもあります。だから、相手の気持ちが冷めてしまったら、それまでですが、自分が出来る限りのことはしてあげられるといいですね。
愛と恋はすれ違う
「愛」と「恋」は似ているようで、全く違うものです。でも、形が見えるものではないから、各々の心で判断するしかないところに、恋と愛の難しさがあります。本人は恋を抱いているのに、「愛している」と勘違いしていることもありますしね。
また「100%の愛」「100%の恋」を抱いている人というのも、ほぼいません。基本は混合型で、どちらの割合がどれだけ多いのか、といった話。言うなれば、「愛寄り」か「恋寄り」か、みたいな話でもあります。
だからこそ、誰でも「恋の割合よりも愛の割合を増やすことができる」とも言えますし、それは、本人の強い意思次第でもあるのです。
あなたがしたいのは、恋ですか?それとも、愛ですか?
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