将棋/将棋関連コラム

『こち亀』の闘争 40年にわたる“勝ち目のない対局”

40年の歳月を経て幕を閉じた『こち亀』。下町人情を漂わせるこの作品は多くの読者に愛された。しかし、その作風からは想像すらできぬ大きな戦いを続けてきてもいたのだ。連載開始当時から読み続けてきた「将棋は弱いが漫画とプロレスに強い」将棋ガイドが、その戦いを解説する。

有田 英樹

執筆者:有田 英樹

将棋ガイド

戦い続けた『こち亀』

40年の幕を閉じた『こち亀』

40年の幕を閉じた『こち亀』

2016年9月17日、『こちら葛飾区亀有公園前派出所(以下『こち亀』と表記)』が40年の幕を閉じた。まず、書いておきたい。この作品に愛棋家として感謝を申し上げたい。主人公の両さんは大の将棋好きであり、何度も将棋シーンを登場させてくれた。なんと将棋刑事まで出現、単行本の表紙にもなった。詳細は以前に書いたまとめ記事(関連記事)をご覧頂きたい。今回、両さんに万感の思いを込めて、この記事を書く。

この作品、ご存じのように「少年誌の最長連載記録」としてギネスに登録されている。作者は秋本治。読者アンケートでの打ち切りが当たり前とされる『週刊少年ジャンプ』での奇跡的ロングラン。「他作品との熾烈な戦い」を勝ち抜いてきた「つわもの」だ。だが、激しいとはいえ『ジャンプ』という器の中での内部抗争。将棋で言えば順位戦。

実は『こち亀』は、その生い立ちの時から、もっと大きな戦いを続けてきていた。そう、順位戦の後には名人戦が控えているのだ。

大きな戦い……。当事者達は意識していないかもしれない。だが、愛棋家は独特の「観戦眼」を持っている。過去記事に何度も書いたように、将棋観戦とは「なぎの海に嵐を観る」ようなものだから、自然、「観戦」に長けてくる。不幸にも将棋は弱いが、幸いにも漫画とプロレスに強い愛棋家の端くれが『こち亀』の戦いをガイドしたい。

「山止たつひこ」とは

作者名に注目

作者名に注目

画像をご覧頂こう。およそ40年の時を経たガイド愛蔵の『こち亀』第一巻である。

さて、どこかに違和感がないだろうか?

作者名をご覧頂きたい。「秋本治」ではない。「山止たつひこ」となっている。『こち亀』の連載が始まった1976年、ガイドは若干16歳。若き少年はジャンプを手にし、こう思った。

「ええっ!山上たつひこ、ついにジャンプにも描き始めたんだ。にしてもタッチが……違うよなあ」

「山止」を「山上」と見間違えたのである。それにしても、なぜ「秋本治」ではなく「山止たつひこ」なのか。この見間違い、当時を知らぬ皆さんは、こうも思われるかもしれない。

「そもそも山上たつひこって誰なの」

まず、そこからガイドしよう。

「山上たつひこ」とは

当時の少年少女にとって「山上たつひこ」はメジャーヒーローの漫画家であった。1974年、『がきデカ』なるギャグ漫画を『週刊少年チャンピオン』に発表。少年警察官を主人公とした作品だが、その革命的な作風は、まさしく一世を風靡した。
それまでのギャグ漫画は、いわゆる「ズッコケもの」であった。日常の価値観から少しはずれた登場人物が、ちょっとしたしくじりや大きな失敗を見せてくれる。赤塚不二雄による『天才バカボン』などの革新的な作品も出現してはいたが、主人公達には共通の「隣に居そう感」があった。

だが『がきデカ』はそれを破壊した。なんら脈絡なく飛び出す一発ギャグ。たとえば「死刑っ」「アフリカ象が好き」。山上は、それまでの流れを断ち切ることをいとわなかった。同じ一発ギャグでも赤塚の「シェー」には意味があり、つなぎとしての役割があった。山上は、つなげない。あえて切る。ギャグの王道を大きく踏み外す革命を起こしたのだ。連発される下ネタとも相まって、日本中の親たちが反発した。いわゆる読んではいけない漫画の代表となった。いつの世も同じだが、親の反発は、子の熱狂に拍車をかける。山上はスロットル全開で「隣には絶対に居ない人」を描きまくる。チャンピオンは売れた。『がきデカ』は漫画界を揺るがした。超速の鬼手を放つ新名人「山上たつひこ」が盤上を席巻したのである。

アンチテーゼの『こち亀』

その頃、秋本治も、ある漫画を考案、発表の機会を与えられようとしていた。『こち亀』である。売れに売れている『がきデカ』と、ギャグ、警官、週刊誌連載の要素で、かぶってしまう作品だ。しかも、もちろん後発。2年前に先手はとられている。相手は大ブレイク中。勝ち目のない対局だ。

そこで秋本は、どうしたか。

まず、逆を行く。『がきデカ』というショートなタイトルへのアンチテーゼとして『こちら葛飾区亀有公園前派出所』という長いタイトルを持ってきた。中身は『がきデカ』以前のギャグに戻す。ギャグ漫画のルネッサンスである。断っておきたい。これは秋本自身が意識しているかどうかは別だ。あくまでも当時の読者の一人として、ガイドが感じたことである。だが、私の周りの子ども達も『こち亀』をこう語っていた。

「これ、タイトルがなげーよな」「ギャグが古いよな」

先の見えぬ船出だったはずだ。だが、「山上」と「山止」の違いに気づいた子ども達は、こうも思った。

「山止って、名前、盗んだんだな。俺、間違えちゃったよ」

パロディなる言葉が世に出回る以前のことだ。盗んだと表現するしかなかった子ども達は、そして、どこかで思った。

「でも、こんなことしちゃって良いのかな」

漫画家・小林よしのりも『こち亀』第一巻の巻末で、「山止」という名に少しだけ触れている。いや、触れざるを得なかった。
ペンネームにしても冗談ぽかったり/小林よしのり
同業者から見ても、この名前は特筆すべきものだったのだ。長州小力もアントニオ小猪木もいない時代である。「山上たつひこ」に対しての「山止たつひこ」。同じ警官ギャグの連載漫画。今、考えれば、あまりにも過激な挑発だ。子ども達が持った疑問「こんなことしちゃって良いのかな」に、子ども達自身が答えを見つけていた。

「あの『がきデカ』の山上たつひこだもんなあ。きっと笑って許すはずだよな」

旧体制をぶっ壊していく革命者・山上たつひこ像を子どもなりに持っていたのだ。だが……。

意外。そう、意外にも、山上は許さなかった。「山止」という名にクレームがつく。つけられれば、これは勝ち目がない。それが社会の道理だ。だが、『がきデカ』は、そんな社会通念を破壊した張本人ではなかったか。子ども達の喝采は、そこにあったはずだ。いや、大人になった今なら、わかることもある。だが、当時、青春まっただ中のガイドは、思った。正直に書こう。

「山上って、けっこう、ふつーなんだな」

前段で、大人になった今ならわかることもあると書いた。何がわかったのか。もちろん、勝手な推測だが書く。山上は「山止」という名にクレームをつけたのではない。自らの作家生命をかけて世に問うた『がきデカ』だ。革命の旗を振ったプライドもあっただろう。それを『こち亀』は否定している。せっかく壊した大きな壁。『こち亀』は、また煉瓦を積もうとしている。にもかかわらずの「山止」。ここに許せないものがあったのではないか。

一方の山止は山上に対して、否定どころか、おそらくは憧れに似た感情を持っていただろう。長州小力は長州力を尊崇している。それと同じだ。だが、作品としての『こち亀』は、あきらかにアンチテーゼだった。それは、本人の意識がどこにあろうとも、読者の意識として確実に存在した。

イデオロギー闘争

「山止たつひこ」は「秋本治」に名を変える。騒ぎは収まる。なぎの海が広がった。だが、本質的な闘争は終わってはいない。なぎの海にこそ嵐はある。それを察するのが愛棋家だ。著者名闘争という表層の仮面を捨て、イデオロギー闘争という深淵が顔を出す。

ギャグ漫画とは何なのか?日常性の否定か、あるいは日常にこそ本質があるのか。

『こち亀』が始まって4年後、『がきデカ』は終了。最後まで、その爆風が衰えることはなかった。相手を失った秋本。しかも相手は燦然たる輝きを保ったままの終演。ならば、どうする。自らのイデオロギーの正しさを証明するには、一瞬の爆発力を誇った超速手『がきデカ』への、さらなるアンチテーゼが必要だ。秋本がテーマとした日常はマンネリズムに支えられている。だが、いや、だから読者はマンネリを嫌う。彼は、マンネリという雨だれで石に穴をあけねばならない。弱く小さなしずくを、辛抱強く落とす。つまり、継続。実際に競い合った4年という年月。その10倍もの歳月を費やして『こち亀』は終わった。超速の鬼手には超持久戦の定跡手で対抗という、観戦者を魅了する対局は終了した。だが、投了したのは、どちらなのか?

封印された戦い

どちらが勝ったのか。勝敗は、もちろん、わからない。わかるはずもないし、決することさえ無意味なのかもしれない。それは、観戦者に委ねられた。しかし、かつて『がきデカ』の出現に慄然とした読者は、『こち亀』の終焉に共感した。少なくとも私にとって、これは確かだ。どちらがテーゼであり、アンチテーゼであったのか。今となってはそれも曖昧だ。つまりは千日手。いずれにせよ、長い戦いは終わった。いや、封印された。そして、この封じ手を開ける対局者は、まだ、出ていない。

今こそ、私は叫びたい。

「秋木 治」でも「秋本 冶」でも、どっちでもいい。出てこいやっ!

その時、秋本 治はいかに。

(了)

<関連記事>
まとめ記事「将棋ファン感涙!将棋シーンが登場する漫画10選」

追記

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