エフェソスの歴史1. 女神アルテミスの時代
大劇場。高さ約30m、直径約150m、220度の角度を有する。現在でもしばしばコンサートが開催されている
均整が取れていて美しく、遺跡の状態も非常によいハドリアヌス神殿
紀元前2500~前1200年にはトロイ、ミケーネ、クレタといったエーゲ文明が栄え、エフェソスもその影響下で発達した。「トロイの木馬」で有名な世界遺産「トロイの古代遺跡」はエフェソスの北西約200kmとほど近い。
伝説によると、この頃この辺りには女性が狩猟・戦闘を行うアマゾネスと呼ばれる人々が住んでいたという。母方の血筋を重視する母系制社会で、大地と豊穣の女神アルテミスを信仰し、森や海とともに暮らしていた。当時、エフェソス周辺はもちろん、ギリシアの山々やエーゲ海の島々も深い森に覆われていた。
エフェソス考古学博物館のアルテミス像。胸の球体は乳房・睾丸・ハチの卵などといわれるが、いずれにせよ豊穣を表現している
紀元前300年頃のヘレニズム時代、アレクサンダー大王によって大規模な港が築かれて、町の中心はアヤスルクの丘から海辺へと移動し、エーゲ海随一の貿易港として発達する。紀元前133年に共和政ローマの支配下に入るとアジア属州の首府として繁栄し、セルシウス図書館をはじめ、いまに残る多くの遺跡が築かれた。
【関連サイト】
エフェソスの歴史2. キリスト教の拡散と衰退
セルシウス図書館、1階部分の円柱。イオニア式とコリント式の折衷様式の柱頭装飾が美しい
アヤスルクの丘に立つ聖ヨハネ教会の中心部分。この下にヨハネの墓があるという
ローマ帝国は当初キリスト教を弾圧していたが、313年にキリスト教を公認。380年に国教化すると、392年にはキリスト教以外の宗教を禁止した。この過程で女神アルテミス信仰は弾圧の対象となり、徐々に聖母マリア信仰に置き換わっていった。
セルシウス図書館の女性像。4つの大理石像は知恵・学識・聡明・高潔を表している
森林は牧草地や小麦畑・ブドウ畑・オリーブ畑へ姿を変え、やがて荒野となった。山から保水力が奪われると雨によって土砂が海に流れ込み、徐々に港を埋め立てた。2世紀頃から堆積がはじまり、7~8世紀には港は完全に埋まって湿地となり、しばしば蚊を大量発生させてマラリアが大流行したという。
町の中心は徐々にアヤスルクの丘へ戻り、繁栄は失われた。8世紀にアッバース朝(イスラム帝国)の攻撃を受けると古代都市は放棄され、廃墟となって打ち捨てられた。エフェソスの都市遺跡がどこかもの悲しいのは、こうした歴史を背負っているからなのかもしれない。