真壁&本間のスイートではないプロレス人生とは
世間でも話題のIWGPタッグ王者・真壁&本間
2人とも元々はヒール(=悪役)レスラーで、真壁はチェーンを首からぶら下げる暴走キングコングとして大暴れ、それを本間がサポートしていた時代がありました。ところが素顔ではスイーツ好きの真壁が日本テレビの『スッキリ!!』でスイーツをリポートするスイーツ真壁として思わぬブレイク、本間もバラエティ番組で何を言っているのかわからないガサガサ声で人気に火がつき、今では2人が『スッキリ!!』で共演する「スイーツ真壁のうまいッス!!」は大人気コーナーになっています。
また本業のプロレスでも2人はタッグを組んで昨年暮れの『ワールド・タッグリーグ2015』に優勝、その勢いを駆って年明け1月4日の東京ドームではカール・アンダーソン&ドク・ギャローズを撃破してIWGPタッグ王座を奪取しました。こうしてノリノリの真壁&本間ですが、これまでのプロレス人生はけっしてスイートなものではありませんでした。
同期の藤田、後輩・新闘魂三銃士の後塵を拝す
真壁が新日本に入門したのは1996年4月。実は前年95年12月の入門テストには不合格だったのですが、このテストに合格した人間がすぐに辞めたために急遽、もう1回テストが行われ、ようやく入門できたのでした。その1カ月後には、のちに総合格闘技でも名を馳せる藤田和之が入門しています。プロレスの世界では1日でも早く入った人間が先輩ですが、レスリングのアトランタ五輪代表候補だった藤田と、プリン真壁のリングネームで学生プロレスをやっていた真壁の差は明らか。藤田は期待されての入団でしたが、真壁は特に必要とされない新弟子だったのです。真壁の苦しい時代は続きます。藤田ばかりか、2000年1月4日に大型新人としてデビューした明大ラグビー出身の鈴木健三(現KENSO)の後塵を拝することになりました。デビュー4年目の01年に海外遠征のチャンスを掴み、カナダのカルガリー、イギリス、プエルトリコ、米国ロサンゼルスと1年半近く修行を積んで02年9月に帰国しましたが、当時の新日本は純プロレスか格闘技路線かで揺れている時期。真壁がトップにつけ入る隙はありませんでした。03年には高山善廣に抜擢されてプロレスリング・ノアに参戦して存在感を発揮したものの、ホームリングの新日本では新闘魂三銃士(棚橋弘至、中邑真輔、柴田勝頼)が売り出されるようになり、やはり真壁の居場所はなかったのです。
ヒールとして開眼!遂に草魂が新日本の頂点に
05年夏には左アキレス腱断裂の重傷を負い、5カ月間の長期欠場へ。しかし、これが転機になりました。06年1月に復帰した真壁は何かを吹っ切ったようにチェーンをトレードマークにするキングコングのキャラに変身。インディー団体のアパッチプロレス軍に活路を求めてWEWヘビー級王者になり、新日本ではヒールユニットのGBH(グレート・バッシュ・ヒール)を結成。これまでの新日本にはない、メジャーとインディーの垣根を越えたヒールとしての地位を確立しました。その後、09年に真夏の最強決定戦G1クライマックスに初優勝、10年5月3日には中邑真輔を撃破してIWGPヘビー級王座を奪取して一気に新日本の頂点に立ちました。
「俺は誰にも期待されずにここまで来た選手だよ。俺はみじめな思いをして、悔しい思いをしてよ、冗談じゃねぇよ。俺はその意気込みでここまで駆け上がってきたんだ」と言う真壁をいつしかマスコミやファンは闘魂ではなく雑草魂……草魂と呼ぶようになりました。そしてIWGP王者になった時の「マジでてめぇらなんかに言いたくないんだ、こんなこと。まあ、一言だけな、一言だけ……サンキューな」という言葉は真壁の苦難のプロレス人生を知るファンの胸を打ちました。真壁はヒール、ベビーフェースを超越してファンに支持されるようになったのです。