「毎日歌いたい」一心で
ミュージカルの世界へ
『アスペクツ・オブ・ラブ』撮影:上原タカシ
「中間市という、八幡の近くの出身です。もともとはピアニストに憧れていたんです。最初、小学1年の時に親に連れられていったピアノ教室ではなぜか算数ばかりさせられて、すぐやめてしまったのだけど、中学1年の思春期の頃に姉が「乙女の祈り」などを弾いているのを聞いて、“両手でピアノが弾けたらいいな”と改めて思いましてね。高校まで続けていたのだけど、スタートが遅かったのでなかなか難しく思っていたら、ピアノの先生が“声が出るから、あなた声楽に行ったら?”と勧めてくれまして。すっかり忘れていましたが、そういえば小さい時から声が大きくて歌うことが好きだった、と思いだして、声楽家の先生についたんです」
――そして音大に一発合格。隠れた才能が発掘されたのですね。
「二期会でも研究生をやって、他の人より高い声が出たので、イタリア・オペラが好きでした。声域の広さは今でも、重宝しています」
『ジーザス・クライスト=スーパースター』写真提供:劇団四季
「純粋に、歌う場所が欲しかったんです。オペラの公演は年に何回あるかどうかという頻度ですが、僕は毎日歌いたかった。そんななかで劇団四季がクラシック歌手を募集しているということで、ちょっと受けてみようかなと、どちらかというと軽い気持ちでオーディションを受けたんです。大学の同級生も半年前に入団して舞台に立っていたので、自分も出来るかな、と」
――特定の演目を目指して、ということではなかったのですね。
「ええ。『オペラ座の怪人』含め、ミュージカルというものをあまり知りませんでした。『コーラスライン』は観て感激したことはあったのですが、そこに自分が入団するという発想はありませんでした。それがクラシックの人間でも受けられるのだと知って、それなら挑戦してみよう、と」
――合格の翌年から『オペラ座の怪人』で即戦力として活躍。傍ら、ダンスのレッスンも受けたりされたのでしょうか?
「最初はぎっくり腰になったりしましたが(笑)、もともと球技が好きで運動神経はあったので、レッスンするうちにそれなりに動けるようになりました」
*次頁では村さんの思い出の諸役、そして今後のヴィジョンを語っていただきました。