すごいですね。ストーリーまで出来上がって行ったんですね。これはドクターの発想にはまずないですね。
目的を成就するために、医療従者だけではダメなんだろうなと思います。医療を受ける人は医療従事者ではないですからね。私たちが持っている視点には相手はなかなか立てないものですよね。医療従事者の私たちは、自分たちが良いと思うことをしていれば、相手にも必ず伝わるはずだと思っていますね。でも実際には伝わらないから、いろいろな問題が生まれます。そこに佐藤さん、手塚さん、黒塚さん、森をつくってくださった石川さん、照明計画をお願いした角館さんも、みなさん全て一般の方です。つまりみなさんは、医療を受ける方々なので、その方々が実際に我々にエールを送りながら、こういう医療施設が良いのではないかと考えて作ってくださいました。
院内スタッフの皆さまです。
手塚さんはものすごく優秀な方なので、病院建築のことをよく理解しながら、あえて機能や利便性を最大限削りながら、この病院を建築してくださいました。普通は、医療者の側から使いやすい、医療者側が動きやすい作りにするのですが、それは違うだろうということで、治療受ける方のほうが気持ちよく受けられるような施設にしようということになりました。それは全く医師や医療者では思いつかないことですね。
3年間そういうことをお話しながらプロジェクトを進める中で、私の中のパラダイムを変えられました。それは心地よい体験でした。
本当は佐藤さんや手塚さんたちの話も取材していただけるといいかもしれませんね。私では言葉足らずかもしれませんから。
先生が持たれているエネルギーや理念にみんなが惹きつけられて、こういう形になったのだと思います。
佐久本哲郎先生が来てくださったから、私がやる気になれたのです。財力なんて全然ない私が、勇気をもらい、自分というプライドや抱え込まなければいけないものを全て下して、清清しい気持ちで進めることができました。とにかくいいことをしようという気持ちになれました。自分の心が豊かになるということ、生きる力をもらっているので、お金や、裕福というようなことは考える必要がなくなりました。
幸福度No1の国は、ブータンの人たちはそういう気持ちなのかなと思っています。つまり、物を沢山持つことではなく、生きる豊かさをいただいています。おそらく、それはみんなが求めていることだと思います。
受付スタッフのお二人。
たまたま、私がみなさんの持っているものに共鳴できたので、たくさんの方々が賛同して、お力添えくださったのではないかと思います。それは銀行を始め、ここを実際に施工してくれた沖電工の社長や社員一同、そしてここに関わった全員、おそらくみなさんがお金や物などの唯物主義に対して疑問や物足りなさを感じていて、医療を突破口として、このクリニックがそういうものになれるのであれば手を貸したい、という思いを抱いてくださったのではないかなと思います。
「人に喜んでもらえればいい」という発想や社会をどう考えるかといった社会インフラ的な考え方に基づいているように見えますか、詳しくお話頂けますか?
正直、当時考えていた予算の5、6倍のお金がかかっていて、私の代で返せると思っていません。私は、クリニックに自分の名前を入れていません。自分の妹も看護師だし、もう一人の妹も医療事務なのですが、家族は決してここには入れません。もちろん妻は不妊認定看護師なので、一緒に働いていますが、事務方にも裏方にも一切家族を入れていません。意識して入れないようにしておかないと、この事業が公にならないですよね。将来、私の子どもが医者になって継ぐのかわかりません。本当の意味でいい医療をして、若い先生方を募って、私の想いをしっかり継げるような身内以外の方が事業を継いでくれないことには、この病院にかかったお金を返せないのです。でも、日本の場合、病院というのがきちんとした会社になっていなくて、どこか守られた中で、普通にはありえない事業体なのではないかなと、私は思っていました。
それでは、今や皆さんが求めるような医療サービスを提供できないのではないかと思います。病院を公にするということは、病院そのものを本当の健全な企業体にしなければいけないということで、そうするためには、企業としての企業理念や事業方針を、きっちり持つことが必要で、揺るぎないサービスの根本やコンセプトがないといけません。そこを築くのが私の仕事だと考えています。
クリニック入口の車寄せのところです。
国立成育医療センターの齋藤英和先生は30年来佐久本哲郎先生とはお付き合いがあり、この空の森クリニックの体外受精部門を任せられる若い人材を探していると相談したところ、齋藤先生が一番優秀だと評価されていた、中島章先生をご紹介くださいました。
彼は一生懸命私の医療に対する考え方やこれからの医療のあり方などの話を熱心に聞いてくれ、今ここで一緒に働いてくれています。私とはちょうど一回り12歳違うのですが、彼が来てくれることになったことは私にとってすごく勇気になりました。
中島先生がきてくれたから、私は精一杯命ある限り、医療に対するこの想いを、曲げずにやっていけると思います。次の世代につなげることができるからですね。経営責任は全部私が取るのですが、その中でみんながキラキラと輝いて、医療の技術をどんどん高めて、そこに魅力を感じて、また更に若い先生方が学んでいってくれれば、、本当の意味の企業体としての病院ができるのではないかなと思っています。
今後、東京や大阪からこちらに来たいという患者さんも増えてくると思いますし、アジアをみたら、沖縄を目指す患者さんも他にもいらっしゃると思いますがいかがお考えですか?
そのつもりでいます。メディカルツーリズという考え方がありますが、今のメディカルツーリズムは、ツーリズムがメインになっていて、温泉や観光とかのついでに検診を受けませんかという感じですね。でも、それはおかしいのではないかなと思っています。例えば、私たちがフランスに遊びに行く時に、そこで検診ができるから、そこで検診をうけます、とは思わないと思うのです。やはり、そこに受けたい医療があって、その医療を受けるために行ってみたら、すごく素敵な土地柄で、ビーチも海もすごく良くて、食べ物を美味しくて、いいツアーもできました、というのが、本当の意味のメディカルツーリズムというのではないかなと思います。
観光ビジネスを盛んにさせるために、国策としてメディカルツーリズムを考えている日本政府の方向性には賛同できません。「あそこは、とてもいい施設だし、いい医療をやっているよ」というのがメインで、「え?どこどこ?」「沖縄」「へ~ じゃあ行ってみる?」ということになって行ってみたら、「沖縄っていいところだね。また行ってみよう」っていうのが本当のメディカルツーリズムだと思うんです。