つらい経験も糧に
舞台人としてさらに成長
『オーシャンズ11』写真提供:梅田芸術劇場
「そうですね。子供の頃は二人とも踊りが好きで、バレエのレッスンの帰りに友人たち含め駅のホームで踊っちゃったりとか、それくらい踊ることが大好きな姉妹でしたね。今は(活躍の場は違えど)支え合ってというか、お互い頑張ってるから自分も頑張ろうというのはありますね。好きなこと続けられてお互い幸せだね、という感じです」
――宝塚を志したのはいつ頃だったのですか?
「関西なので宝塚の名前を目にする機会は多かったけれど、自分が入ろうと思ったのはけっこう(受験)ぎりぎりのタイミングでした。中学生後半で初めて宝塚を観に行きまして、こういう世界があるんだとも思ったし、他にはない男役というものも魅力だったし、自分の持ち味にはまるんじゃないかなと思ったんです。そこからの準備だったので、もう本当にぎりぎりでした」
――しかし卒業時の成績は首席。ということは、学校時代にめきめき実力を蓄えられたのですね。
「蓄えたというか、いろんなことがカリキュラムの中に含まれているので、スポンジのように吸収していたというかんじですね。試験もいろいろあったんですが、一番問われていたのはダンス力だったような気もします。お芝居や歌に関しては、歌劇団に入ってから経験を積んで身に着けていったように感じます」
『ヴェローナの二紳士』写真提供:東宝演劇部
「当時はそうだったと思いますけれど、今思い返すと非常に大事な時期だったと思いますし、それがなければ今の私もないだろうなという経験でしたね。皆さんそうだと思うんですけど、困難な状況に立たされた時に、そこからどう這い上がってゆくか。人間はそういう時に一番成長させてもらえると思うんですね。当時は本当に苦しかったけれど、今思えばあの経験が今の自分を育ててくれたと思ってますし、今現在も発展途上だなと感じます」
――病床では、自分のやりたいことはやっぱり舞台だと思い返したり?
「一日でも早く舞台に立ちたいと思いましたし、若い頃には怖いもの知らずで突っ走ることができても、年齢を重ねると、いかに体を自分でコントロールしながら、仕事をしていくかということも改めて考えさせてもらえたなと思います。なにはなくても、本当に健康が一番ですよね。精神状態含め、いろんなものが体に影響をきたすんだなということもわかりましたし。
そういった意味では、病気の後のほうが自分をコントロールしやすくなりました。“なんでもがむしゃらにがんばります!”では、いつかはエンストを起こしてしまうということを身に沁みて実感しました。それまでは無鉄砲というか、病気知らずで病院にも行ったことがありませんでしたし、私は元気印ですみたいな感覚もありましたが、オンとオフの切り替えを改めて考えさせられました。どの仕事でも同じだと思いますけど、自己管理って大切だし、それも仕事の一つなのだな、と実感しましたね」
――その経験を経て、自己管理を含めプロフェッショナルな舞台人としてトップを勤められたのですね。
「そうだったのかわからないですけど、その経験があったからこそトップを務めさせていただけたのかなという気持ちはありますね」
*次頁では退団後に手掛けた『マイ・フェア・レディ』イライザ、そして今後の抱負などをうかがいました!