男性が演じていると思った「男役」に衝撃を受け、
宝塚を目指す
『エリザベート スペシャル ガラ・コンサート』撮影:村尾昌美
「芸名を考えてくれた叔母が、古典好きだったのです。漢字については当て字です。宝塚らしい芸名ですよね。いただいた名前を見たときには、あまりの美しさに驚きました。自分自身としっくり並ぶだろうか?と。入団時、名前だけが先に飛び出してしまい、“春野寿美礼ってどの子?”という状態で、名前に合う自分でいないといけないと何度も思いました。いろいろな役を演じてゆくなかで、私と春野寿美礼がお客様の中でつながるようになっていったのだと思います」
――春野さんは中学3年の時に宝塚を目指されたそうですが、宝塚の何が魅力だったのですか?
「男役のかっこよさですね。初めて観たのは剣幸さん主演の『ミー・アンド・マイ・ガール』という作品でしたが、宝塚のことは何も知らず、男役はみんな男性だと思いながら観ていました。でもプログラムをみると女性の名前が多く並んでいて、一緒に観劇していた母に“なぜ?”と聞いたら“みんな女性よ”というので、私はとても驚きました。それだけ舞台上の方々の演技が素晴らしかったのですね。素敵な作品で、のめりこむように観ていました。何も疑わず、夢の国の人たちに恋をしたんです」
――もともとファンタスティックなものに興味のある少女だったのですか?
「その頃はまだ興味を持てるものに出会えていませんでした。(それが)宝塚にあったということなのでしょうね。宝塚を観てから、自分の人生が輝きだしたように感じます」
――そして見事、宝塚音楽学校に入学。さっそく男役を目指したのですか?
「いえ、最初は娘役を希望していました。でもある日、髪の長かった私に、あなたいつ髪の毛切るの?背が高いし、当然男役でしょうと言われて、“男役なんだ、私”と気づき、翌日に髪を切ったのです」
――“夢の世界の人”であった男役。はじめはどんなところが大変でしたか?
「当初は女性のたたずまいがなかなか抜けず、鏡に映る自分がとても嫌でした。なるべく自分の姿を鏡で見ないで、上級生の芝居や踊りを見ていました。真似ているうちに、少しずつ男役になっていったのだと思います。
私は音楽学校の入学前にダンスも歌も半年間しかレッスンしていなくて、そんな人は周りに誰もいなかったんですね。とにかく出来なくて、それが恥ずかしくて毎日悩んでいました。そのため成績は良くなかったですね。卒業すると順位が公表されてしまうので、卒業したくなかったくらいです(笑)。卒業試験の時にはなんとか中間に行くことができましたが、何もできないという思いは続き、私には観て真似ることしかできない。だからずっと上級生を見ていました。その蓄積が少しずつ形になっていったのだと思います。
もう一つきっかけになったのは、ある新人公演の時でした。ただ舞台を横切って、ベンチに座り、また去ってゆくという通行の役を、なんとなく演じていたんです。そうしたら本役の先輩に“あなた、この役なんとなくやってるでしょ。命がけでやってない”と言われ、ショックを受けました。そう言われたこともですが、本役さんに“ただの役”と思わせてしまったことに深く反省し、私の居方はよくない、通行の役でも真剣に向き合い、一人の人間を生きよう、と思いました。それから少しずつ演じることが楽しくなり、こだわりをもって演じるようになったんです」
――いろいろな経験を積まれた中で、宝塚で獲得した一番大きなものは?
「努力することでしょうか。自分自身が努力することからすべてが始まる。やればやっただけ、そこに存在することに自信が持てるし、やらなければ怖くて舞台に立てません。ちゃんと作り上げて稽古をして裏付けされたものがしっかりあれば、堂々と舞台に立っていられるけど、何もなく舞台に立つと、ちょっとつつかれたら倒れてしまいます。だからまず、自分自身が努力をして、一人でも立てるところまで作り上げないといけないと思いました。そこからみんなで稽古をして、作品を作り上げていくのです。
――その思いは今に至るまで支えになっているのですか?
「そうですね。舞台というのは一人で作るものではなく、キャストやスタッフもいらっしゃいます。その方々と協力し合い、理解しあうことも大切ですね。決して自分一人で進めて、思い通りになるものでないと理解しています」
*次頁では『エリザベート』タイトルロール等、宝塚退団後の代表作、そして今後も表現者として、春野さんが大切にしてゆきたいことを伺いました。