「ペットロス」の受け止め方……心のありようはそれぞれ
ペットロスは“克服”しなくてもいい
「人生の局面における濃密度」と「愛犬の存在」との関係
深いペットロスに陥った人ほど、次の犬を迎えるまでに時間がかかるとも言われる。しかし、「一生に一度の犬」というのもいいのではないだろうか
ペットロスは、家族や恋人など近しい相手を亡くした喪失感とは似て非なるものと思います。なぜなら、「家族が死んだより辛い……」と感じる人も多く、「愛犬は家族同様、人生のパートナーだ」と言ってみても、やはり人間に対する想いとはどこか違うからでしょう。
生き物として種が違うからこそ、犬との生活の中では彼らを思い量ってやらねばならず、それだけ「君はどう思っているの?」「このやり方でいいの?」など自問自答することも多いわけですが、にもかかわらず、保護者的立場とは裏腹に、場合によっては意識せずとも精神的に彼らに頼ってしまう部分もある。
そんな私たちに、犬たちは純粋な瞳をもって絶大な信頼を寄せてくれます。そして、時に人間以上の、または人間からは得られない愛や信頼、勇気、優しさ、生きるエネルギー…諸々のものを与えてくれます。ある意味、包容力があるのは人間より犬たちのほうかもしれません。
そういう大事な愛犬が亡くなって、悲しくないという人はいないでしょう。しかし、その悲しみの深さや受け止め方は人それぞれ。深いペットロスに陥る人も珍しくありませんが、これまでの経験から、ガイドはこう考えています。
善かれ悪しかれ、その人にとって人生における重要な時期にともに過ごした犬は特別な存在になる。だから、喪失感も悲しみもより深くなるのではないだろうか……と。
ペットロスという同じ経験をもつ人がひとつのキーになるかも
「聞いて欲しい、自分の想いを…」「あのコに伝えたいものがある…」、それを形にするのもいいかもしれない:(c)Shinya Sasaki/a.collectionRF/amanaimages
また、万物に命が宿ると考える東洋的思想が遺伝子に組み込まれている私たちは、苦しみから解放してあげることも愛情とし、安楽死を比較的受け入れる西洋人とは違って、少しでも長く生きていて欲しいということのほうに気持ちが奪われがちです。自分が気づかずとも、そうした思想的な背景がペットロスに影響している部分もあるのかもしれません。
いずれにしても、ペットロスに陥る飼い主さんは後を絶ちませんが、それに伴い、そのサポートをするのも務めと考える動物病院も増えています。しかし一方では「正直、何でもかんでも獣医師に頼られるのもきついところがある。ペットロスは繊細で微妙な心の問題であることから、特に経験の浅い若手の獣医師にとっては酷だ」という意見をもつ獣医師もいます。
そう、“経験”というのは一つのキーポイントでしょう。中には、同じ家族であっても愛犬の死に対する悲しみに温度差があり、「どうして犬のことでそこまで悲しむのか?」と理解してもらえず、家族の中で一人孤立してしまうケースもあります。行き場のない心……。
しかし、まったく同じではなくとも、似たような経験をした人同士であれば、分かり合える部分もあります。そのような相手を見つけることができ、話を聞いてもらえることができれば、少しは気持ちのやり場もあるのはないでしょうか。心理カウンセラーに相談するにしても、知識として勉強しただけのカウンセラーと、同じようにペットロスの経験があるカウンセラーとではやはり違うと思われます。
また、悲しみや喪失感は内に込めず、解き放してあげたほうが少しは楽になりますが、そうした相手がいてもいなくとも、愛犬への想いを綴ったり、愛犬のグッズを作ったり、何かの形で気持ちを外に出してあげることもひとつの方法です。ガイドは、「あのコのためにしてあげられることがまだある」、そう思うことでそうした作業を重ねてきました。
言葉はかえって邪魔者、悲しみを深めてしまうことも:(c)GYRO PHOTOGRAPHY/a.collectionRF/amanaimages
「これであのコのホームページを作ってあげれば?」
とても嬉しかったです。と同時にとても寂しく、悲しくもなりました。
それからしばらくして、何も手につかずにいたガイドはぽちぽちと愛犬のホームページを作り始めたのです。写真を1枚1枚見ては涙し、手が止まる。そんなことの繰り返しでしたが、そのホームページは今でもガイドの宝物になっています。そして、ガイドの愛犬の誕生日や命日には、毎年のように愛犬の誕生日花である花を贈ってきてくれる犬友だちもいました。
もちろん、ガイドも同じようにペットロスに陥った犬友だちに贈り物をすることもありました。こと心が弱っている時、人の言葉は癒しや元気を与えてくれることもあれば、心のささくれに引っかかることもあります。
だから、伝えたいことや友人の愛犬のイメージを花言葉に託して花を贈ったり、そのコの名前を刻んだアロマキャンドルにしたり、その時々でいろいろ考えて贈ります。その人自身が自分のコの写真を使ったりして作るオリジナルの写真集や絵本などを贈るというのもいいかもしれませんね。
ペットロスに限らず、悲しみに包まれた人には、言葉で飾らず、その気持ちを受け止め、そっと“心”を贈るしかないのでしょう。そういうやり取りをすることができたら、少しは救われるのではないかと思います。
助けてほしい悲しみは、克服しなくてもいい……悲しみと愛しさは裏腹
大好きだから、悲しくなる…:(c)KANNA WAKAI/amanaimages
「どこまでこの辛さが続くのだろう……」、そう思った時、暗黒の世界の崖っ淵に立っているような気分になったものです。
しかし、いつからか、「この悲しみや苦しさもあのコが遺してくれたもの。ならば、この苦しささえ愛しい」、そう思うようになったのです。その時から、「ペットロスは乗り越えなくてもいい、克服しなくてもいいんだ。自分はこの痛みを胸に抱いたまま、あのコが迎えに来てくれるまで生きていくのだろう」と考えるようになりました。
深い悲しみや辛さがあるということは、裏を返せば、それだけそのコに対して深い愛情があるということ。そして、後悔のない死などありません。愛犬に対して後悔していることがあるとすれば、それもまた愛情があるからこそ。
悲しみに苛まれながらも、ガイドは、「あのコのことを世界中で一番愛しているのは、この私だ!」と心の中で思い切り叫ぶようにしています。そして、愛犬のあれこれを思い出し、笑い、涙します。
人(命)は2度死ぬと言います。1度目は肉体の命を失った時、2度目は人々から忘れ去られた時。その時にほんとうに死ぬのだと。だから、ガイドは愛犬のことをずっとずっと想い続けます。そうすれば、愛犬はガイドの中でずっとずっと「生きて」いるのですから。
今、ガイドの心の中には、愛犬に対して2つの言葉があります。「ごめんね」と、それ以上の「ありがとう」。写真の愛犬に向かって「ありがとう」と呟くと、彼女はニコッと笑ってくれるような、そんな気がするのです……。
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