フロイトの提唱した心のメカニズム、「エス」「超自我」とは
やる気のスイッチが入ると「あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ!」と頑張りすぎる一方で、突然やる気が失せ、何もかも投げ出したくなってしまう時期がある。しばらくたつとそんな自分が嫌になり、やる気にエンジンがかかるのに、頑張りすぎて結局リバウンドしてしまう……。気がつけば、そんな悪循環にはまっていませんか?
「適度に頑張り、適度に休む」という安定したやる気のサイクルを保てず、「頑張りすぎる自分」と「無気力な自分」が交互に顔を出す両極端なサイクルができていないでしょうか?
このような傾向を理解するために、ぜひ知っておきたいキーワードがあります。それは、フロイトが提唱した「エス」「超自我」「自我」という、人の心の中にある3つの機能です。
「エス」とは、快楽を追及する心の機能。「面白いことばかりをやりたい」「とことん楽をしたい」といった思いは、このエスから生まれるとされています。「超自我」とは、道徳や禁欲を追及する心の機能。「ルールを守らなければならない」「怠けてはダメだ」といった思いは、この超自我から生まれると考えられています。
「エス」と「超自我」の対立に振り回されると、やる気のアップダウンが激しくなる
これら「エス」と「超自我」の関係は、水と油のようなものです。この2つの機能は私たちの心の中でしばしば衝突し、葛藤を起こしています。たとえば、「今日は何だか体調が悪い……会社に行きたくないな」という気持ちが生まれたときに、心の中ではエスと超自我がどのような会話をしているでしょう? 快楽を追求するエスは、「休んじゃえ! 1日くらい平気だよ」といたずらっぽく囁きます。これに対してルールに厳しい超自我は、「休むなんてとんでもない! このくらいで弱音を吐いてはダメだよ!」と自分を叱りとばします。
本当は休みたいのに無理をして出勤した日にも、エスと超自我の葛藤は続きます。禁欲とルールに厳しい超自我は、「もっと頑張れ! まだまだやれるはずだ!」と、自分を追い込みます。すると、快楽に忠実なエスは我慢できなくなり、ついには「もう仕事なんてやってられるかい! 何もかもやめてしまえ!」と暴走してしまいます。
エスが支配的になれば、超自我が反撃し、超自我が支配的になれば、エスが揺り戻しで暴れ出す。このように「頑張りすぎる自分」と「無気力な自分」の両極端な自分が交互に顔を出す場合、超自我とエスの対立が強すぎることで生じていると考えられます。では、そんな「水と油」のエスと超自我との関係を、どのように調整していけばよいのでしょう。
心のバランスを調整するのが「自我」の役割
快楽を追及する「エス」、道徳や禁欲を追及する「超自我」――この「水と油」の心の機能を調整するのが、「自我」の仕事です。自我とは、現実に即して状況を判断し、エスと超自我の働きをコントロールする心の機能。いわば「健康的な大人の心」が、この「自我」なのです。
たとえば、超頑張り屋の超自我が「仕事は、全て今日中に終わらせねば!」と自分を追い込み、「もっと遊びたいのに!」というエスの欲求を抑え込んでいると、バランス役の自我が冷静に状況を検討し、「ここまでは今日中に終えて、続きは明日にしよう」と現実的な判断をします。またたとえば、快楽に忠実なエスが「あれも買いたい、これもほしい!」と欲望を主張し、禁欲の超自我が「お財布に限りがあるのに!」とアラームを鳴らし始めると、自我が冷静に状況を検討して「じゃあ、今日は一番気に入ったこれを一つ買うことにしようよ」と合理的な決断をします。
このように心の調整機能を司る自我が、エスと超自我の要求を適度に満たしながら、現実を検討しながら合理的な判断を下すことによって、心の安定は保たれるのです。つまり、自我が健康的に機能していれば、「適度に頑張りながら、適度に楽しめる自分」を実現することができるのです。
バランスのよい生活を叶える「自我」の育て方・鍛え方
とはいえ、この自我の機能が十分に育っていないと、現実を冷静に検討し、エスと超自我の葛藤を調整することができません。では、自我をどのように育て、強化していけばいいのでしょう? たとえば、次のようなことを意識していけば、自我は自然に育っていきます。- いっときの感情に巻き込まれずに、現実や自分の心の動きを冷静に見つめる
- 物事の優先事項を決め、どのように行動するのが合理的なのかを常に考える
- 「頑張りたい自分」も「楽をしたい自分」も、どちらも自分なのだと認め、両者を適度にバランスよく活かす