「火花」主人公の実像

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前回、又吉直樹の『火花』を「笑い」という面(もちろん、それがすべての小説だとは思っていませんが)から深堀りしてみました。これまで数多く目にしてきた文学的アプローチによる批評とは一線を画したものになったと自負してます。

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特に、物語の実質的主人公である神谷については、失礼な話ですが、どの批評も捉え方が甘いと感じました。この男は「世間を振り向かせる笑い」を極めるため、常人の理解を超えた言動を重ねますが、まともに観客を笑わせられない芸人では決してありません。

神谷達の漫才コンビ「あほんだら」は、漫才コンテストの前半戦で場内の爆笑をさらいます。しかし、この漫才は彼らにとって「フリ」でしかなく、これをふまえた後半のネタこそが、オリジナリティあふれた渾身の1本だったのですが、審査員から無惨にも切り捨てられてしまいます。神谷の行動を読み進めていくと、まるで前人未到の地を目指し命を掛けた挑戦を続けた20世紀の冒険家達の姿に重なって見えます。


ダウンタウンが成し遂げた偉業

一連の神谷の言動は、現実離れしていると受け取られるかもしれません。しかしリアルな芸人の世界にも「前人未到の笑い」を征服すべく、全身全霊を傾けてきた有名無名の「冒険家」が存在したことは、前回も触れました。

笑いの極限を切り開いたパイオニアといって、誰もが思い浮かべるのは、やはりダウンタウンの松本人志でしょう。陳腐な言い方になりますが、笑いに革命をもたらせたことは間違いなく、以降の笑いはすべてダウンタウンの模倣だと言う人もいるほど。

にもかかわらず、新たな笑いを求めて試行錯誤を繰り返す若手芸人は、今も少なからず存在します。そんな高い志を持つ者達の多くは、「普通の笑い」で勝負することも十分可能な筈。なのになぜ、あえて困難な道を進もうとするのでしょうか?