既に崩壊している採用神話
毎年、採用活動がひと段落する時期になると、人事部門ではその年度の採用活動を総括する。この時、その成否を判断する基準に、内定者の大学名や成績、課外活動での役職経験、また筆記試験や適性診断の結果を用いるのが一般的である。
これらの指標に異論をはさむ人は少ないが、30年以上も前から観点が変わっておらず、時代にそぐわなくなってきているリスクは認識すべきである。
例えば、偏差値の高いいわゆる上位校の学生は優秀であるという定説。確かに、ある程度パターン化された仕事を要領よくこなすことが求められた時代にはその妥当性は高かったが、昨今のように仕事が複雑化し、クリエイティビティが必要とされる時代においては必ずしも当てはまらない。入試で求められる能力と仕事で発揮すべき能力の関連性が低いからだ。
同様に、クラブやサークルでリーダーを務めてきた人材が高いリーダーシップを有するというのも疑わしい。コミュニケーションスタイルの変化に伴い、リーダーの定義が変わってきているからだ。近頃のリーダーは、組織やチームが進むべき方向を示し自らが率先してそこに向かうというよりは、メンバーが互いに快適に活動できるように調整役に徹するタイプが多い。
また、広く利用されている適性診断は既に多くの対策本が出回り、もはや能力や人物像が測れるツールではない。性格検査のパートにおいては、自分がなりたい人物像を自在に演出することが可能で、面接に来た全ての学生がほぼ同じタイプと診断されていても、実際にはかなり個性が異なるケースは毎年散見されている。
このように、人事部門が拠り所としてきた数々の指標は既に機能しなくなってきている。採用担当者は、こうした採用神話の崩壊に目をつむるのではなく、時代に合った新しい指標を策定していくことが求められている。