東京都渋谷区で、同性カップルを「結婚に相当する関係」のパートナーと認め、証明書を発行する全国初の条例が4月1日から施行された。これは「渋谷区男女平等及び多様性を尊重する社会を推進する条例」のひとつ。条例では、性的マイノリティの人権尊重もうたわれている。著しい侵害があった場合には、区が事業者名も公表できる。

救急車

契約や緊急時に不便があった

証明書に法的拘束力はない。ただ、区は証明書をもつ同性カップルに、家族向け区営住宅への入居を認める。事業者が了承すれば、病院での手術同意書へのサインなども可能になるのだという。

だが、同性カップルであることの証明書を発行してもらうためには、公正証書などを作る必要があり、数万円単位の費用がかかるようだ。これがせめて数百円単位になればいいのに。

同性愛への偏見は根強いのかも

あらゆる人が自由であること、人権が尊重されることは、ごくごく当然のことだと思う。

以前、ゲイバーで週に一回、ママ業をしていたことがある。お客さんとしてきてくれたゲイの人たちと、いろいろ話をした。いわゆる異性愛者と、何か決定的に違うことなどないのだと思う。

私は同性に対して恋愛感情が持てないが、彼らは恋愛の対象が同性に向くだけだ。同性と異性両方に恋愛感情を持てる人もいる。同性愛も異性愛も、どちらも愛せるバイセクシャルも、はたまた誰をも愛せない無性愛者も、みんな自分らしく生きればいい。ただ、それが社会的差別を受けてはならないと感じていた。

社会は異性愛者を「普通」だとし、「普通」に生きたほうが得をするシステムになっている。だが、現実には何が普通かなんて、誰にもわかりゃしないのだ。
私が書いた婚外恋愛の本を読んでくれたゲイのお客さんが、「ヘテロも大変だってことがよくわかった」と言ってくれたのがとてもうれしかった。

一方で、知人に、私が大好きなゲイの友人について、「ああいう人が会社勤めなんてできるの?」と言われたことがある。友人に対して謂われなき差別発言をされて、私は激怒した。そして知人と袂を分かった。そういう偏見をもつ人とはつきあっていけないからだ。なぜ同性を好きになったらいけないのか、なぜそんな偏見をもつのか、まったくわからなかった。

だが、世の中にはそういう目で彼ら彼女らを見る人たちは多いのだろう。たとえばセックスに関する嗜好がかなり変わっている場合であっても、異性愛者で異性と一緒にいるなら、黙っていればわからない。同性愛者は、隠していても疑われたり、こそこそ噂されたりするケースが多いようだ。特に男性の場合、言葉遣いが優しい、仕草が女性的だということでわかってしまうこともある。わかったからといってなんとも思わない人間もいれば、急に差別的な目で見る人もいるのが現実なのかもしれない。

>>「普通」とはなんだろうか?