恋する視聴者
■気がつくと心が動き始めていたリケジョと自称・高等遊民のスピード感あふれる論戦がおもしろすぎる――作品に対する興味はそこから始まりました。やがて、「好き」という言葉は一度も出てこないのに、2人の恋が始まろうとしていることに私たちは気づかされます。そして、依子と巧の2人が気になっている自分の気持ちに気づくのです。
最初は個性的な2人がただ可笑しいだけ。働かない理屈をこね、恋を否定する理屈をこね、そんな2人の言葉の勢いに笑っていただけなのに、いつしか私たちは、2人が気になってしかたないのです。
■もっと2人を見ていたい
最終回で「私は心のない人間です。人の心がわからないんです」と依子は涙します。自分には彼を幸せにすることはできないと言います。同じように巧も依子を幸せにする力がないと言います。素直な言葉は私たちの心を打ちます。
切ないのが恋。楽しいだけは恋じゃない。相手を幸せにする自信がなくても、お互いを思う気持ちがあるのであれば、乗り越えるしかありません。
2人に別れを告げる鷲尾豊と島田佳織も、主人公に負けないくらい相手を思う心がジンとしみます。私たちは主人公だけでなく、作品に登場するすべての人が愛おしくてたまらないことに気づかされるのです。
2人をもっと見ていたい。作品をずっと見ていたい。そう思う気持ちは恋に似ているのかもしれません。
本作が描く圧倒的な日本語の醍醐味に魅了されたガイドは、毎週スタンディングオベーションでエンディングシーンを迎えていました。
日本語の優しさ、力強さ、面白さに満ちた内容は、“日本語エンターテインメント”とも呼べるかもしれません。『デート~恋とはどんなものかしら』は、日本のドラマを観る理由を、自分のなかで明確にしてくれる。そんな作品だったと思います。