名古屋を代表するミュージシャン
ガイド:2005年に最初のインタヴュー、そして今回で9回目となります。3月に同時配信の2枚のシングルの話をする前に、「名古屋」についてお話を聞かせてください。以前、ザ・ショッカーズ時代からの名古屋のニューウェイヴ・シーンについて、ながいさんにいろいろ伺いましたが、名古屋人にとって、名古屋を代表するミュージシャンとか歌手と言えば、誰になるのでしょう?
ながい÷グレープ:
古い所では、ザ・ピーナッツ。ロックなところでは再評価熱も高まっているセンチメンタル・シティ・ロマンス。パンク・シーンではスター・クラブ、原爆オナニーズ。ブランキー・ジェット・シティは名古屋出身だけど、東京に出てから売れていったから外すか。
ガイド:
あっ、ザ・ピーナッツは名古屋だったんですね! 日本を代表する双子歌手ですが、彼女たちの「恋のバカンス」(1963年)は、ソ連でもニーナ・パンテレーエワ(Нина Пантелеева)が、「Каникулы любви(恋のバカンス)」(1965年)としてカヴァーして、ソ連でも大ヒットしたんですよ。
ながい÷グレープ:
あと補足として、「完全無欠のロックンローラー」のアラジン、「愛はかげろう」の 我夢、などのヤマハ・ポプコン系も名古屋。僕のやっていたザ・ショッカーズというバンドは「墓場でパンパンパン」という曲で、これに続きそうなところまで行きましたが、残念ながらorラッキーにも?ギリギリで外れました。
ガイド:
ザ・ショッカーズには、そんな歴史もあったんですね!
僕にとっての名古屋出身の歌手と言えば、やっぱりつボイノリオさんなんですよね。昨年、名古屋で初めて、つボイさんの生の「金太の大冒険」が聴けて、感動しました(笑)。その後、カラオケに行く機会があった時、「金太の大冒険」を歌うと、世代的に知らない人たちにも大変好評でした。
ながい÷グレープ:
2013年、つボイさんと共演させて頂く機会があって、長年愛聴してきた「金太の大冒険」のバックを務めさせて頂き、それはそれは夢のような感動的な体験でした。キース・リチャーズが初めてマディ・ウォーターズと共演した時みたいな、かも(笑)。
ガイド:
それ、見たかったーー!
1985年の歌ですが、つボイさんは「名古屋はええよ!やっとかめ」という名古屋をテーマにした歌を歌っていますね。自虐的でありつつも、名古屋に対する誇りと妄想が溢れています(笑)。この歌は名古屋で流行ったのでしょうか?
名古屋はええよ!やっとかめ (YouTube)
ながい÷グレープ:
こうして、あらためて聴いてみると、しっかり考えて作られているのは分かるんだけど、ヒットしてたって実感はなかったですね。誰かが仕掛けてたんだろうなあ。ラジオでよくかかってた気はするけど、盛り上がってる感じはしなかったな。どうも、名古屋の人って自分の街を愛する気持ちが薄いというイメージがあるんですよね。