理想的な「字幕」とは?
字幕があることを気付かせないのが、「理想的な字幕」
でも、内容を理解するだけなら、直訳で訳して、画面をいっぱいにすればいい。でもそれだと文字が多くて映像が汚れるし、読み切れないんです。最も良い字幕は、見終わったあとに、字幕がついていたことを忘れるようなものが良い字幕と言われています。あくまでも映像がメインなので、「あれ?字幕なんて書いてあったんだっけ?」と思ってもらえるのが理想です。
サンプル映像をご覧ください(※使用許可を得た映像を用いています)。これはいつでしょう? 朝なのか昼なのか。どこでしょう? 登場人物の関係は? どんな性格か? など、映像から得られる情報を頭に入れて、キャラクター作りをします。「わたし」?「わし」?「おれ」? そして登場人物の関係性をさぐります。登場人物間の言葉遣いなどを映像から得られるいろいろなヒントから考えます。
例えば「내릴까?(ネリルカ?)」という台詞。この韓国語を「降りようか」とするか「降りて」とするか……。耳で「降りようか」と聞くのと、「降りようか」を読むのでは印象がだいぶ変わります。この場合は「降りて」かな……とか、自分で字幕を入れたり消したり、いろいろ入れながら考えます。
この登場人物がしている武道は何か分かりますか?「テコンドー」? なるほど。実はテコンドーでなく、ハプキドーなんです。それは映像から分かります。この道場のロゴは韓国のハプキドー協会のマークなんですね。ハプキドーは漢字で書くと「合気道」、では日本の「あいきどう」と同じなのでしょうか。
調べてみると、「日本の合気道」と「韓国のハプキドー」は異なる武道であることが分かりました。技や道着も異なります。このときはクライアントと相談し、「合気道」に「ハプキドー」というルビをふることで落ち着きました。俳優さんたちの話す台詞だけでなく、映像から得る情報もとても大切なんです。
『アルファベットから引く外国人名よみ方字典(日外アソシエーツ)』という本もあります。いろんな書物に登場する名前の表記が載っています。外国人の名前で、例えば「デヴィット」なのか、「デイヴィット」なのか? もしくは「デイビット」?と迷うときはこれを引きます。
字幕は原則として常用漢字を用いなければいけません。例えば、「인사(インサ/挨拶)」の日本語訳は、「挨拶」が常用漢字でなかった数年前までは、「あいさつ」と入力するか、「挨拶」と入力し、ルビを振らなければいけませんでした。
「할아버지(ハラボジ/おじいさん)」も要注意です。「お祖父さん」は血縁関係のある相手に使います。もしかしたら血縁関係がないかもしれない。ドラマを最後まで観たり、ドラマの公式ホームページで調べたりしながら、登場人物の関係性をはっきりさせた上で翻訳します。
「이모(イモ)」はどう書きましょうか。「叔母」は、両親の妹にあたる人で、「伯母」は、父母の姉にあたる人ですよね。まだ分からない場合はこれらの漢字は使えません。
次に、その訳を「おばさん」にするか、「おばちゃん」にするか、「おば様」にするかという問題も出てきます。登場人物の言葉遣いや身なりを観て、自分が設定したキャラクターに合うように訳します。
「안녕하세요?(アンニョンハセヨ)」も気をつけないといけません。何も考えずに「こんにちは」と書いたら、クライアントから「これは早朝の場面ですよ」と突っ込まれてしまったりすることもあります。時間帯が分からない場合は、例えばこの場面だったら、「初めまして」とする方法もあります。
「다시(タシ)」の制限字数はソフト上、3文字と出ています。どうしても3文字に収まらない場合は、オーバーさせてしまうことも実はあります。この場合、「もう一度」「もう一回」「やり直し」などが良いでしょう。「もう1度」だと、「もう1℃」に見えなくもありませんね。
「아니다(アニダ)」の訳ですが、この場面で「いいや」だと、「もういいや」の意味に捉えられなくもないし、「いや」だと「嫌だ」にもなってしまう。そうすると、「違う」が良いでしょうか。
「같이 살아요(カチ サラヨ)」の「살다」も悩む単語です。「住む」「暮らす」「生きる」などの日本語に置き換えられる韓国語ですが、「住む」というと、「家」に重きが置かれる気がしませんか? 「暮らす」は根を下ろしてそこで生活するというニュアンスが出ます。常に何通りかの訳を考えて、その中から最も適したものを選ぶようにします。
ドラマや映画の翻訳をするときは原語台本がありますが、原語台本があるからといって安心はできません。これまでご覧になってお分かりのように、原語台本はあくまでも補助で、映像から読み取る情報が、翻訳をする上で大変重要になることがお分かりかと思います。