自分について知っているのは生まれた年だけ『エリカ 奇跡のいのち』
主人公のエリカは自分について、生まれた年が1944年であるということしか知りません。成長してから知り得た事実は、第二次世界大戦中、ユダヤ人の強制収容所に向かう汽車の窓からある村を通過する際に投げ捨てられた時、生後2~3ヵ月の赤ちゃんだったということ。そして拾われ育てられて今があるということ。いつどこで誰のもとに生まれ、どんな名前をつけられたのか、きょうだいがいたのかどうもわかりません。『エリカ 奇跡のいのち』の物語は、エリカがアメリカの女性作家に語る形で静かに流れていきます。
わずかな時間に必ずあったはずの母や父とのふれ合い
拾われた時からしかない、エリカについての情報。エリカは想像の限りを尽くします。列車に乗せられるとき、お母さまやお父さまはどこに行くと想像したのだろう? ギュウギュウ詰めの列車の中で、生まれて間もない自分をきっとしっかり守ってくれたのだろう。そしてどの時点で自分たちの運命を悟り、私の命を続かせていくための一か八かの決断に出たのだろう。私を手離すとき、どんな言葉をかけ、どんなふれ合いをし、どんな表情で今後の私の人生について祈ったのだろうか……。その状況下で自分を窓から外の世界に向かって投げるという決断をしたのは、きっと「母」しかいないとエリカは思ったのでしょう。
育ちゆく命と消えていった無数の星
エリカは、1933年から1945年までの間に奪われていった、600万のユダヤ人の命のことを考えながら育ちます。伴侶を得て3人の子どもを授かったエリカ。奇跡的につながれたエリカの命が、家族という樹を育み、枝を伸ばしていきます。太古から想像できないほど何度も何度も命が受け継がれてきたから自分という存在があるのは、何と不思議なことなのでしょう。人類の歴史上、繰り返されてきた無数の戦争や暴力行為。人の命を奪ったり尊厳を傷つける行為。それらに打ち勝つために、日々の暮らしの中でできる最低限のことは、命の大切さを常に考え、次の世代に引き継いでいくことではないでしょうか。
訳者の柳田邦男さんは、戦争、災害、医療などを題材に多くの著書を持つノンフィクション作家。淡々とした、切ない物語なのに美しささえ感じる静かな文章が、読むごとに心に染み入ります。
小学校中学年ぐらいであれば、親子で読むことができるでしょう。1人で読める年頃になれば、自分の心で何かずっしりとしたものを感じると思います。あえて感想を求めたりはせず、しかし、もし子どもの方から読んだ後の気持ちを伝えてきた時には、しっかり受け止めてあげていただければと思います。