ツヴェツィ=ミフィ=イーグルス
70年代、ソ連ではEaglesも人気がありました。「フワラーズ」という意味のソ連の大御所ロックバンド、ツヴェツィ(Цветы)の「Летний вечер(夏の夜)」(1979年)を聴いてみましょう。ツヴェツィ - Летний вечер(夏の夜) (YouTube)
微妙にアレンジを変えながらも、基本、「Hotel California(ホテル・カリフォルニア)」です。しかし、クレジットは、バンドのリーダーでもあるスタス・ナミン(Стас Намин)となっています。ツヴェツィは結構有名なバンドで、ソ連のビートルズと比喩されたこともあったようですが、ソ連のイーグルスと堂々と名乗るべきでしょう。
Eagles - Hotel California (YouTube)
「ホテル・カリフォルニア」は人気があるようで、ミフィ(Мифы)の「Земляничная поляна(野いちご)」(1981年)は、レゲエっぽいアレンジでオリジナリティーを主張しているが、やはり似すぎています。
ミフィ - 野いちご (YouTube)
どうしてパクリが多いのか?
以上、比較的わかりやすい例をあげましたが、今後、カヴァーかパクリかの判定ができるクレジットの解明が進めば、さらなる疑惑曲が発見できるでしょう。確かに、ソ連に限らず、パクリ、盗作の類は世界中に存在しています。インドの映画『Disco Dancer』でも、The Bugglesの「ラジオスターの悲劇」のような曲がありました。しかし、ソ連においてあまりにもあからさまなものが多いのにはそれなりの理由があると考えます。- 著作権という観念は存在したが、その実施については選択的であった。
- 退廃的とされている西側のアーティストのカヴァーを堂々とやることは、好意的に受け止められなかった。
- 西側の曲を利用するのは、ソ連でヒット曲を作るための有効な手段であった。また、鉄のカーテンのお陰で、法的問題になる可能性も低かった。
ソ連の大衆音楽、特に「若者を堕落させる」「西側を礼賛する」と解釈されかねないロックは、当局から目をつけられており、リリースやライヴなどの活動をするに様々な障害がありました。でも、著作権は、どうやら当局の関心事ではなかったようです。