「寝る暇もなかった」プロデューサー修業の日々
帝国劇場外観 写真提供:東宝演劇部
「東宝に行ったのは偶然でした。2002年に『レ・ミゼラブル』がオーディションをするということでキャストがどっさり変わり、それを手伝うことになったんです。24歳ごろのことでした。
もともと演出家希望で、まさか製作をやるとは思っていなかったんですが、ミュージカルの演出家を目指す以上、東宝というところで仕事をさせていただくことは非常に大事なこと。出会う人が違いますし、日本のミュージカル界の第一線で活躍している方々の仕事ぶりを見ることができます。プロデューサーのアシスタントとして来てくださいということだったので、とにかくやってみようと思って行ったんですが、2週間後ぐらいに“本格的にやりませんか”と言われて、『レ・ミゼラブル』『ミス・サイゴン』やジャニーズ作品、芝居もやってこられた大プロデューサーに、バリバリ英才教育をされたんですよ(笑)。“私は演出家になりたいのに”とは思ったものの、まずは自分の居場所を演劇界に確立しないと何も始まらない、とにかく与えられたことを一生懸命やっていればいつか道は開けるはずと思ってやっていたんですが、本当にスパルタ教育で、寝る時間もほとんどなかったです。
というのも、そのプロデューサーは何本も同時に抱えていらっしゃって、そのアシスタントは細かい仕事が多いので家に持ち帰って明け方までやり、翌朝また劇場に行くという日々でした。でもすぐに予算関係や、一番大事なプロデューサーのノウハウを全部教えて下さったんですよ。交渉ごとの場にも連れて行って下さって。そうこうしているうちに“プロデューサーになりませんか”と言われて、“人に請われているってすごく有難いこと。自分ができることを一生懸命やれば、そのうち道が開けるかもしれない”と思ってプロデューサーを務めることになりました。
シアタークリエ外観 写真提供:東宝演劇部
――初歩的な質問で恐縮ですが、興味のある方もいらっしゃるかと思うので、プロデューサーのお仕事とは何かを教えていただけますか?
「企画、キャスティング、スタッフィング。公演の枠組みを作るということですよね。そして予算があって、稽古が始まり本番が始まり、決算。そこまでの公演の責任者がプロデューサーです。演出家はその中身の責任者で、連動しているところはありますが、バジェットの部分はプロデューサーしかやりません。ショービジネスなので、現実の材料の中で作らなければいけない、その管理と言うのが一番の仕事ではないでしょうか。船があって、どういう船にするのか、どこに向かうのかというのをプロデューサーが決め、船の中で演目を作りながら船を前に進めて港についてから上演するのが演出家ですね」
――民間企業でいらっしゃるので、まずは収益を出すのが大命題ですよね。黒字にしなくてはならない、その中でクリエイティブなものを創るというのはストレスフルなお仕事ではないですか?
「それが大前提であると(プロデューサーも演出家もみんな)承知していると思います。みんながハッピーになるためには興行面と内容、双方が必要。いいものを創っても数字的に哀しい結果になるということは、みんながハッピーにはなってないということです」
*次ページで演出家としての小林さんのポリシー、一緒にお仕事をすることの多い井上芳雄さんについて、また今後のビジョンを伺いました。