父と子の関係、政治闘争、国家勢力間の争い…
人間の深い真実、心理が描かれた物語
——ダンサーの動きで、ロボットたちの感情面が伝わるというわけですね。ダンサーはビジュアル面を担っているようですが、俳優もダンサーと同じ動きをするのですか。俳優にはいわゆるダンスとは違いますが、動きは付きます。ただストーリーが主体で、ストーリーに関連づけた動きしかしません。原作の中にダンスナンバーはないので普通の演劇ならダンスは入らないのでしょうが、コンテンポラリーダンスの手法ではすべてがダンスになりえます。パペットを動かす、空間を移動する動きを振付と考えるならば、それらもダンスの一種といえるでしょう。
森山未來さんは俳優であるだけでなく、ダンサーとしても素晴らしいので、両面で表現してくれていますね。彼が出演してくれて、嬉しく思っています。他の俳優たちも恐がらずに思い切り演技してくれている。ありがたいです。
——この作品を通して、ラルビさんが伝えたいことは何ですか。
原作は漫画で近未来を描き、しかも手塚治虫の作品が原々作ということで視覚的な印象が強いと思いますが、実はストーリーの中にはとても深い人間の真実、心理が隠されています。そのあたり忘れられがちなことですが、今回の作品ではしっかり焦点を当てています。
テーマのひとつに、父子の関係があげられます。アブラーとサハド、ゲジヒトとロビタ、お茶の水博士とウラン、天馬博士とアトム…、彼らは親子の関係や確執を経験しています。
また地球上の政治闘争、国家勢力間の争いもあります。そういった紛争や抗争が、各キャラクターにどのように影響しているか。キャラクターはそれぞれ紛争に対して、違う反応をします。何かを失い、その喪失感に対する反応も異なります。復讐心にかられて憎悪の気持ちを抑えられない者、悲しみに打ちひしがれる者、自分が痛い目に遭っても自分よりももっと大変な人を助けようとする者もいます。
キャラクター同士が互いを補う関係性もあります。二面性というか、二次元的なものです。そこが俳優たちと芝居を作って行く上で面白いところです。個々の力だけでなく、他者との関係によって成り立つ部分があるんですね。私にとっては非常にスケールの大きい、叙事詩的なストーリーだと思います。ファンタジーもたくさんありますが、人間の深い心理が描かれているのが魅力的です。
——現代社会をそのまま表したようなストーリーですね。
その通りです。
——『テ ヅカ TeZukA』(11年ロンドン初演、12年東京公演)では、手塚治虫へのオマージュを表現されていますが、今回その経験値が生きているところはありますか。
『テ ヅカ TeZukA』をやったからこそ、今回の『プルートゥ PLUTO』を手掛ける勇気をもらいましたね。私が演劇作品をあまりやらない理由のひとつに、私がとても視覚的な人間だということがあります。しかし私は演劇でよく描かれる人間の交流を信じています。自分の場合、脚本は抽象的なものとして捉えていて、今回はその中で心理的なものを汲み取り視覚化するという作業を行っています。『プルートゥ PLUTO』は原作が優れているので、原作漫画自体が絵コンテのような役割を果たし、漫画作品として完成しています。複雑な人間関係も描かれており、その完成した漫画を舞台化するということが今回のチャレンジになっています。
原作は8巻と長いので、ストーリー全部を網羅することはできません。そこで取捨選択するという脚本作りに自分も参加しました。谷賢一さんが書いた脚本に私がコメントを入れて、それを反映していただきました。私達が作った台本に対して、原作者・浦沢直樹さんや長崎尚志さんからも意見を頂きました。与えられた脚本ではなく、自分もその過程に参加できたことはよかったと思います。
稽古場にて取材。