プルートゥ イラスト(c)浦沢直樹・スタジオ ナッツ 長崎尚志 手塚プロダクション / 小学館
ダンサーはさまざまな国の人になったり、
ロボットに付き、人形遣いのような役目も
——ラルビさんにとって、これが初めての演劇作品ですね。答えは「はい」、そして「いいえ」です。俳優たちとは今までも仕事をしたことがあり、演劇というよりも演劇とダンスがミックスされた作品でした。俳優とダンサーの一番大きな違いは、俳優は意図をしっかり持っていることです。なぜ、この場面でこういう台詞を言うのか、背景を考えながら物語の流れ、最初から最後までを理解し、把握しています。そういったことはもちろんダンサーにも重要ですが、ダンサーはとかく振りを技術的に叩き込むことに追われがち。俳優のような動機付けは後回しになってしまうことが多いです。
——『プルートゥ PLUTO』で、踊りはどのような役割を担っているのでしょうか。
まず踊りは場面を設定するために使われています。たとえば日本、ドイツ、ペルシア、オランダと場所がどんどん変わっていくので、その世界観を作るのに使っています。ステージはひとつの空間であり、本物の地球にはなりえません。ステージの中にいろんな場所を設定することによって、移動している様子を表現します。
例を挙げれば、オランダにいるゲジヒトとドイツにいるヘレナが電話で話しているシーンでは、同じステージにいても、彼らの距離の遠さが伝わるように試みています。俳優の位置関係、近いか遠いかということも、振付の一部だと思います。またダンサーは東京やペルシアなどいろいろな国の情景が描かれる際、通行人や背景にいる人々を演じます。
上田大樹さんが手掛ける装置、視覚的効果の元で、物語は進行します。非常に具体性があり、近未来を表現したセットです。
——この物語には近未来のロボットと人間が共存する社会が描かれていますが、ロボットは俳優が演じるのですか。それともロボットが登場するのですか。
ロボットにはヒューマノイド、いわゆる俳優が演じる人間の形をしている高性能ロボットとしていないもの両方のタイプがあります。人間の形をしていないものはパペット(人形)を使って表現しています。
パペットのキャラクターとしては、ロビタ、ブラウ、アーノルド、プルートゥなど。ストーリーの中で重要な存在である、ゲジヒトを殺す小さなロボット、アリもそうです。
ダンサーはこのパペットを操作する人形遣いのようなことも担当します。また俳優が演じる人間型ロボットにも同じように付きます。非常に優れたダンサーたちで、深い心理描写がされた物語の中にこのダンサーたちがいることで、思いも寄らない刺激やダイナミズムを醸し出しています。
ヒューマノイドは俳優が演じるため、彼らがロボットであることを表現するために、周りにダンサーが付いて操作します。マニピュレーター(操作する人)が操ることでロボットだとわかります。アトム、ウラン、ゲジヒト、ヘレナはマニピュレーターにより動かされています。
ロボットであっても、すごく感情が高ぶり膨らんできた時、自らが感情の支配者になり、自分が主体となって動けるようになるとマニピュレーターは離れていきます。
ウランはひとりでいるときはマニピュレーターに操られていますが、誰かとやりとりすることでその相手に影響を受けると、マニピュレーターがいなくなることがあります。相手に影響を受けて、その相手の感覚に従って何かを選択したりすると、マニピュレーターは離れます。
このあたりはすべて身体の動きで表現されています。コンテンポラリーダンスということで括られるのでしょうか?