声楽家出身俳優として、韓国のミュージカル・ブームを牽引
2007年『スウィーニー・トッド』出演時のプロフィール写真。(C) Musical Heaven
「ピアノを習っていた姉に影響を受け、私も高校で声楽を始めました。大学でも声楽科でオペラの勉強をしていましたが、4年生の時に平壌でのミュージカル公演に出演する機会を得たのです。
事前に、ツアー・ガイドの方からは“北朝鮮の人間は、泣くことはあっても笑いませんよ”と聞いていたのですが、いざ舞台に立つと、何人もの方々が大笑いしている様子が見えました。オペラも感動を与えることはできるけれど、ミュージカルはそればかりでなく、もしかしたら観た人の人生を変えてしまうこともできるかもしれないと気づき、ミュージカルという道に進むきっかけになったのです」
――日本の音楽大学では少し前まで、ミュージカルに対する冷淡な視線もあったようですが、韓国ではいかがでしょうか?
「そのお話は、とてもよく分かりますね。僕がいた大学はオープンな校風だったにもかかわらず、当時はやはり、ミュージカルに対して眉をひそめるような雰囲気がありました。けれど12年後の今、僕がその大学で教鞭をとっているということは、ミュージカルがそれだけ市民権を得たということを意味するのではないでしょうか。ミュージカルで様々な役を演じ、多くを学んだからこそ、後輩たちに教えることができるのだと感じています。
韓国には、声楽出身のミュージカル俳優が何人かいます。『ジキル&ハイド』のタイトルロールで知られるリュ・ジョンハンであったり、『三銃士』のキム・ボムレ、ミン・ヨンギ、そして私。私たちの存在によって、今では声楽科の学生たちの中に、ミュージカル俳優を目指す若者もいます。日本ではいかがですか?」
――『オペラ座の怪人』の上演が、一つの変化をもたらしたと思います。
「韓国でもそうです。2001年にソウルで『オペラ座の怪人』が上演されてミュージカル熱が高まり、状況は全く変わりました」
――これまで演じた中で、特に印象に残っているのは?
『スウィーニー・トッド』(C) Musical Heaven
今年、韓国で宮本亜門さん演出の新版が上演され、これにも私が主演する予定でしたが、諸般の事情で延期となってしまいました。いつか亜門さんの演出で、必ず演じてみたいです」
後進に“教える”ことの意味
――14年11月にはドニゼッティのオペラ『リタ』を演出されましたね。演劇的な小粋な舞台で、劇団四季でも活躍していたミュージカル俳優も出演していましたが、クラシック音楽をミュージカルファンたちにもアピールしたい、といった意図があったのでしょうか?
『リタ』ドニゼッティ役 (C) The Musical
――大学で教鞭もとっていらっしゃるということですが、40代、50代でしたらいざ知らず、30代前半の若さで人に「教える」ために時間を割いていらっしゃる方は、なかなかいないと思います。
「自分が経験し、蓄積してきたことを他の人たちと共有することが好きなんです。後輩たちも情熱を持って“こういう部分を教えてほしい”とアピールしてきてくれます。教えることが楽しすぎて、はじめは本業の、舞台に立つ仕事を忘れそうになるほどでした(笑)。学生を教えるということは、自分にとってもとても勉強になるんです。教える前よりも今のほうが、自分自身も成長していると思います」
――俳優たちの本音を描いた『コーラスライン』の終盤には「自分の好きな事を人に教えるなんていや」という台詞がありますが、それとは対照的な感覚ですね。
「確かに、俳優は競争社会の中に生きています。でも、他の役者に負けないように自分を磨くばかりだと、自分自身が疲れてしまうんですよね。自分の経験を後輩たちとシェアすることは、これからもずっと続けていきたいです。
他にも、少年院にいる子供たちにミュージカルを教えて夢を与えたりといったボランティアの仕事もしています。妻にはいつも“忙しくし過ぎている”と怒られていますが(笑)、今回の来日中は、教え子たちには休講になってしまって申し訳ないけれど『レ・ミゼラブル』に集中できるので、頭の中はクリアでいられます」
*次ページでヤン・ジュンモさんにとってかけがえのない存在、そして今後の夢について語っていただきました!