ブロードウェイの“最新ミュージカル”の面白さを、どう伝えるか
『ファースト・デート』
「稽古はさくさくと進んでいる状態なのですが、どこまで“自分との共感”を演じて行く上で出していいのかという点に関しては、ちょっと悩んでいる面があります。というのは、こういう作品では、“自分はこういう経験をしてきたからこういう台詞に共感する。だからこういう風に演じる。”というような演じ方をしてしまうと、どこか面白みが欠けて行くような気がするんです。リアルなことをリアルに演じる面白さもあるかもしれないけど、客観的に誇張して演じたほうが面白いこともありますよね。自分の実感や役者としての生理を押し通すより、むしろそれは無視して(芝居としての)テンポであったり間合いを大切にしたほうが、お客さんの笑いであったり、(本作らしい)空気が創造してゆけるのかなと感じています」
――NYと日本では、観客のリアクションが異なってくるかもしれませんね。
「背景の文化が異なるので、もちろん違ってくると思います。翻訳ミュージカルなので作品で描かれていることをそのままやるという前提はありますから、今、僕らは台詞にがんじがらめになったり、自分たちが育った文化にないものをやっている、僕たちのものではない服を着ているという感覚があるけれど、それが稽古を重ねることで着慣れてきたり、お客様がいらっしゃることによってオリジナリティが生まれてくる。今までも何作か翻訳ミュージカルをやっている中でそういう経験があるので、あとは直感で、一番面白い方向に流れてゆけばいいんじゃないかなと思っています。
今回集まったメンバーは皆さんそれぞれ個性豊かで、歌も上手だし、(出身)畑はそれぞれ違うけれど、役のとらえ方は遠くないという実感があります。このメンバーの縁、タイミングも大いに追い風になって、日本オリジナルの面白い舞台になるような気がしています」
――アメリカの都会の人々にとっては本作に登場する“ブラインド・デート”であったり“マッチ・ドットコム”であったりという恋愛ツールは日常的なことでしょうけれど、日本のお客様の中には「何だろう、それ?」という方もいらっしゃるかもしれません。設定への共感が前提にない分、日本ではより演劇的な「見ごたえ」が問われるかもしれませんね。
『ファースト・デート』開幕直前イベントで歌う中川さん。写真提供:東宝演劇部
僕はこの作品、ミュージカルとしての“構造”が面白いと思っています。7名の出演者のうち、僕とケイシー以外はみなバーの客として席についているのだけど、そのお客さんたちが二人の頭の中の登場人物を体現していて、その間、僕らはフリーズするんです。そして彼らの出番が終わるとまた僕らの時間に戻る、というこの作り方はすごく面白いと思います。
例えば頭の中で“初めて会う女性の前では、ブラインド・デートであっても元カノの話はしちゃいけないとあれほど友達に言われてたのに、なんで俺は名前を出してしまったんだろう”という葛藤が、その友人役を登場させ、語らせることで、そのままステージで表現されます。それを、自分のことなのにどこか他人事のように傍観している自分もいる……といった具合で、自分のなかの“葛藤”や“思いの強さ”によって、非現実的な妄想・空想が絶えず体現されてゆくんですよね。普通の芝居や一般的な音楽劇、『レ・ミゼラブル』『ミス・サイゴン』のような歌だけで伝えて行くミュージカルともちょっと違う、これが“ブロードウェイの最新ミュージカルの形”なのかなと思います。そこはうまく伝えたいですね。
例えば、芝居をしていていきなり歌いだす。その唐突さをコメディとして面白く見せるのか、唐突感に説得力を持たせるのか。どちらもあるかと思いますが、今回はその唐突感を、いかに役者の“間合い”で導けるか。いかにも“音楽が入ったから歌いだした”ようでいて、そこにユーモアがある音楽の使い方が、この作品にはあるんです。それが“洒落ている”と聞こえたらいいなあと思います。心情を吐露するアリアみたいな曲もあるし、ユダヤ人のアーロンの家族が“この女の子はユダヤ人じゃないから結婚できないよ”といかにもミュージカル風に歌う大ナンバーもあるし、いたたまれない二人の沈黙をまさに代弁するようなナンバーもある。それぞれの歌の入り方というのが、かなり役者次第だと思えます。これがうまくいくと、同じミュージカルでもちょっと何か違う、洒落ている、あるいはミュージカルそのものを皮肉っているようにも感じられると思います。そんなことをお客様に伝えられたらいいですね」
――音楽的にもバラエティに富んだ作品なのですね。
「ロックもオペラもフォークもポップスも、オール・ジャンル歌っているので、お客様もかなり楽しめるんじゃないかと思います」
*次ページではアーロン役を語りつつ、中川さんご自身の恋愛観も飛び出します!