アウシュヴィッツへの移送から絶滅まで
第一収容所アウシュヴィッツ正門。アーチには「ARBEIT MACHT FREI」(働けば自由になる)とある。「B」の文字が反対になっており、囚人たちのせめてもの抵抗だったといわれる ©牧哲雄
第一収容所アウシュヴィッツの鉄条網と収容棟。鉄条網には常時高圧電流が流されており、感電自殺する者も少なくなかった ©牧哲雄
収容所内に入ると、囚人服に着替え、髪を剃られ、複数の人間にひとつのベッドが割り当てられた。ベッドが一杯になると四角い穴にウナギのように詰め込まれた。食事は腐った野菜を煮て作ったほとんど具のないスープで、夕食にはパンがつくこともあった。
第一収容所アウシュヴィッツのガス室入り口。地下にあるガス室で殺され、遺体は同じ建物内にある焼却炉で焼かれた
アウシュヴィッツでは残虐な逸話に事欠かない。囚人に様々な薬剤を投与したり、子供を生ませて解剖したりといった人体実験。美しい少女の皮でランプ・シェードを作ったり、死者の脂肪から石鹸を作り、囚人の髪でベッドや布を作るといった人体産業。最終的に、アウシュヴィッツでは十数万~百数十万もの人間が殺されたといわれている。