将棋/将棋マンガレビュー

「3月のライオン」は漫画の姿をしたポエムである(1)

「3月のライオン」は漫画の姿をしたポエムである。主人公に刺さる「無い」というトゲ。しかし、一方で彼は「有る」に満ちた現実に漂っている。暖かさと寂寥感(せきりょうかん)に揺れる心情をみごとに描いた作品である。

有田 英樹

執筆者:有田 英樹

将棋ガイド

ショッキングな書き出しだった。

「ゼロだって……ヘンな名前ぇ……。でも、ピッタリよね、アナタに。だってそうでしょ。家も無い。家族も無い。学校にも行って無い。友達も居無い。ほら、アナタの居場所なんて、この世の何処にも無いじゃない?」

無機質な笑みで女性が語るシーンから、この作品はスタートする。

川を見下ろせるマンションの一室、その女性の乾いた言葉の回想で目を覚ました「アナタ」、桐山零。孤独で閑散とした部屋には、それでも将棋盤と駒が置かれている。ここまで、わすか4ページ。作者は、おそらくはこの作品のメインとなるであろうテーマを提示しつつも、「謎」というフィルターをかけ、読者の欲求ポテンシャルを上げている。作者、羽海野チカの力に驚かされるばかりだ。
 
「3月のライオン」。「三月は獅子のようにやって来て、羊のように去っていく」というイギリスの格言が元になっているらしいが、従来の将棋漫画とは一線を画すテイストがある。一言で言えば、この作品は漫画という姿をしたポエムなのである。

 

「無い」と「有る」

主人公の桐山零は高校生。「中学生にしてプロ棋士」という偉業を達成した天才である。これまでの多くの将棋漫画が、将棋への愛情、血のにじむような努力、そして周囲の支えによってプロ棋士になるという展開を見せているのに対し、「3月のライオン」は逆のベクトルでスタートしている。
 
零の親友(心友)/似顔絵byガイド

零の親友(心友)/似顔絵byガイド

「無い」と辛辣な言葉をかけられた零。しかし、彼は「有る」ポジションにいる。冒頭の女性が、いつそのトゲを刺したのかは不明だが、少なくとも現在の彼には「家」がある。「家族」は事故でなくしたものの、家族同様に支えてくれる人がいる。「学校」も有る。彼のことを気遣う教師もいる。「友達」もいる。永遠のライバルであり親友(心友)だと公言する友の存在が有る。さらに言えば高校生でありながら棋士としての「収入」さえも有るのだ。ちなみに本書のカラー口絵ご覧いただけば、その「有る」度の高さが十分に伺えるはずだ。まるでハッピーエンドと見まがうシーンである。

 

天賦の才に恵まれ、ライバルや師に出会い、史上5人目という中学生プロ棋士の座を獲得した零。主人公は最初から、そのサクセスストーリーを終えているのだ。作品から離れ、現実に目を移してみよう。プロ棋士養成機関である奨励会。地元では神童とまで言われる子ども達が集まり、熾烈な争いを繰り広げる世界だ。多くのプロ棋士が「今までで一番嬉しかったことは?」の問いに「奨励会を卒業できたこと」と答える、そんな恐るべき世界なのである。作品の中では、そんなハードルを軽々とクリアした「有る」零が、「無い」と言う言葉にからみつかれている。

折れてしまいそうな「無い」

羨望のまなざしが注がれるべき主人公に、読者の共感が集まることは、ふつうに考えれば難しい。だが、私のような齢50を過ぎた、何の取り柄もない中高年男がこの零に、どこかでつながりを感じてしまうのである。よくある「金も地位も手に入れたが、なんだか心が満たされない」などという薄っぺらな、余裕のある「無い」ではない。さわれば折れてしまいそうな「無い」が、この作品には流れている。そして、それは主人公だけにではない。零を巡る多くの登場人物、明るく活発な人物にさえにも寂寥感(せきりょうかん)が漂っているのだ。もちろん、トゲを刺した女性にも。か細い枝に、「無い」がツルのようにからみついている。その先に小さな葉があり、葉の上にしがみつい露が一瞬だけきらめく、そんな作品である。だから惹かれる。

3月のライオンは、たしかに将棋漫画に類するものだろう。しかし、対局シーンはきわめて少ない。全体からすれば、おそらく1割にも満たぬはずだ。だから将棋を知らぬ人にも、この作品は浸透していけるに違いない。だからといって、将棋の場面が単なる「おまけ」なのではない。将棋だからこそ、この作品のテーマを表現できるのだと私は思う。

将棋だからこそ「無い」

ご存じだろうか?将棋には勝ちが「無い」のである。囲碁は広い面積を取ったものが勝つ。野球やサッカーは得点の多い方が勝つ。しかし、将棋は違う。将棋の対局は、もはやどうしようもないと判断した者が負けを宣言して終わる。負けが成立して、負けなかった者がそのあとに勝ちとなる。それが将棋なのである。負けを認める宣言の一つに、こんな言葉がある。「ありません」……つまり「無い」だ。極論すれば、将棋は「無い」を到着点として成り立つものなのだ。だからこそ、この作品と深部でシンクロする。そして、その将棋場面の監修を行った棋士が先崎学なのである。

監修は「人間味」あふれる先崎学

先崎は故・米長邦雄(過去記事)の内弟子であった。「元・天才」と呼ばれ、その苦しみを知る男だ。そんな経験を積んでいるからだろうか、実に「人間味」を感じさせてくれる棋士でもある。その笑顔は、包容力に満ちあふれ、この作品の登場人物達を彷彿させる。つまり、著者である羽海野に、この先崎という人選は大きな影響を与えているはずだ。単行本には、先崎が寄せたコラムも掲載されているが、実に軽妙であり、将棋未経験者にも理解できる話題を採り上げている。みごとだ。

 

そして2巻へ

冒頭に提示された謎は、この1巻を読みすすめれば、少しずつ解けてくる。あのトゲを刺した女性と零との関係。ライバルが抱える「無い」。師との出会いにおける「無い」。だが霧が晴れたのではない。読者は霧の濃さを知ることになるのだ。巻末近くに、象徴的な場面が用意されている。零が、指に針を刺してしまうシーンだ。この痛みが2巻へと読者をいざなっていく。どうか、みなさん。ガイドと一緒に「3月のライオン」を「羊が去る」まで、まっとうしていただきたい。

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追記

「敬称に関して」

文中における個人名の敬称について、ガイドは下記のように考えています。
(1)プロ棋士の方の活動は公的であると考え、敬称を略させていただきます。ただし、ガイドが棋士としての行為外の活動だと考えた場合には敬称をつけさせていただきます。
(2)アマ棋士の方には敬称をつけさせていただきます。
(3)その他の方々も職業的公人であると考えた場合は敬称を略させていただきます。
 
「文中の記述に関して」
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