将棋/将棋棋士紹介

マツコ・有吉絶賛の「豊川孝弘」-棋界の音二郎(2ページ目)

自由平等の思想は川上音二郎のオッペケペー節によって自由民権運動となった。難解な思想が民衆に届いたのだ。将棋も難解である。しかし、大衆にその面白さを届けなければ、将棋文化に未来はない。豊川孝弘は棋界の音二郎である。マツコ&有吉からも賞賛された豊川をガイドする。

有田 英樹

執筆者:有田 英樹

将棋ガイド

将棋音二郎の条件

ガイドなりに考えた将棋界の音二郎となりうる条件を記してみたい。それは下記の3つである。

(1)棋士であること
音二郎自身が自由平等の思想を持っていなければ、大衆には伝わらなかっただろう。それと同様である。自らが将棋の素晴らしさを知り尽くし、研鑽に努める棋士でなければ、世間には届かない。

(2)頭の回転の速さを対局以外の手段で提示できること
前述の対局シーンでも棋士は頭をフル回転している。それも常人では測り知れぬほどの猛スピードなのである。そこが棋士の一つの大きな魅力である。だが、それは世間には届きにくい。へたをすると「睨んでばかり」となってしまうのだ。だから、棋士の凄さを、思考のフル回転を、対局以外の手段で提示する能力が必要である。音二郎が演説ではなく、ジャパニーズポップによって自由・平等の素晴らしさを提示したように。

(3)明るく親しみやすい人物であること
端的に言えば、オッペケペーである。小難しい理屈よりも、その明るい響きが皆を寄せ付けたのである。音二郎は大衆の中に入っていった。そして、ともに歌ったのだ。特に現代はカルチャーならぬ「軽チャー」の時代である。親しみやすい人物でなければ、世間は振り向きもしない。軽いノリが必要不可欠だ。

音二郎、出現

将棋界の音次郎「豊川孝弘」

将棋界の音次郎「豊川孝弘」

3つの条件を兼ね備えることは簡単ではない。むしろ過酷である。なぜなら多くの棋士は幼少の頃から将棋に没頭してきたからである。将棋に打ち込み、天才達の熾烈な戦いをくぐり抜け、勝ち取った棋士という地位。そんな彼らに、将棋以外で頭の回転の速さを示してくれと頼んでも難しい。そんなことに頭を使うのなら、定跡の研究をした方がましだと言われるかもしれない。しかも軽いノリで、などと言われればさすがに困惑してしまうだろう。また棋士が将棋一筋だからこそ惹かれるファンも多い。だが、繰り返しになるが、それではなかなか世間に届かない。将棋界は音二郎を待ち続けていた。そして、とうとう世間に届く男が出現したのだ。その名は豊川孝弘(とよかわ たかひろ)。3つの条件を見事にあわせ持つ人物である。

「だじゃれ王」棋士・豊川孝弘


豊川にとってのオッペケペーはだじゃれであった。「隣に塀が立ったよ。へえ」のだじゃれである。だが、こんなものなら誰にでもできる。ガイドにだってできる。だから、これでは世間に届かない。彼のだじゃれは、なんと、将棋解説の場において披露されるのだ。それも、ポンポンと飛び出す速射砲である。音二郎が「権利」「自由」「政治」「思想」などの固い言葉に「オッペケペー」をミックスさせたように、豊川は「先手3七歩」「後手2四歩」などの乾いた言葉に「だじゃれ」をコラボさせたのだ。

対局はライブで中継されることが多い。だから、その場その場で、だじゃれのひらめきが必要となってくる。頭の回転の速さが要求されるのだ。豊川は解説という対局以外の方法で、その力を見せつけた。これなら世間に届く。くだんの女性が豊川の解説を観てこう語ったそうである。

「この人、すごく面白いね。棋士って頭が良いんだなあ」

迷宮での足音が聞こえ始めた瞬間であった。
 

マツコ・有吉絶賛の豊川


こんな豊川をメディアが放っておくはずがない。人気番組である「マツコ&有吉の怒り新党」で豊川の「解説」が採り上げられたのだ。いわく「豊川孝弘七段の口滑らかすぎる解説」。スタジオは大爆笑に包まれた。そして、なんと有吉弘行がこう語ったのだ。「(自分も将来は)ああなりたい」と。それに、マツコが「わかる」と同意した。毒舌でなる人気芸能人をもってして、この発言である。将棋界の音二郎は、世間に届いた。いや、世間を振り向かせたのだ。だじゃれ王……。彼はそう呼ばれもした。
 

豊川のだじゃれ一覧

 

リョードリ・ヘップバーン

リョードリ・ヘップバーン

例えば、右図は先手が「桂」で後手の「金」と「飛」を射程におさめた局面である。将棋用語で言えば「両取り」だ。この瞬間、豊川はこう語る。

「う~ん。これはリョードリ・ヘップバーンですね」

もちろん、オードリ・ヘップバーンから取っただじゃれである。こんなだじゃれが、前掲したあの笑顔からマシンガンのごとく連射されるのだ。視聴者はねらい打ちである。もう少しだけ紹介しよう。

例えば、自分の「角」をあえて敵に取らせ、その上で自分優位に導く手がある。これを普通の解説なら「角を切りました」と言うが、豊川にかかるとこうなる。

「ここは、やはり角をキリマンジェロ」

例えば、ある駒を飛車で取る場合、棋譜の読み上げは「同飛車(どうひしゃ)」となる。豊川はそんなことでは終わらせない。

「ここでは、いわゆる同飛車(同志社)大学ですね」

例えば、単純に駒を取る場合でも豊川は発射する。

「この駒をトルストイ」

まだまだ山ほどあるし、そのバリエーションはつきることのない泉である。

素顔の豊川


宴席にて(右はガイド)

宴席にて(右はガイド)

実は、ガイドは豊川と宴席をともにするという機会に恵まれた。テレビではよくしゃべるが、実際の生活は寡黙。そんな人も多いと聞く。それは、それでプロフェッショナルである。その宴会は将棋関係者のみの集まりであった。そして、豊川はメインゲスト。来賓である。つまり、その晩の彼は「画面の豊川」である必要がないのだ。さあ、素顔の彼は、どんな男なのか? ガイドは胸を躍らせながら初対面となる宴会場に向かった。

結論を言おう。素顔の豊川が持っていたのは「だじゃれマシンガン」ではなかった。マシンガンどころではなく、「だじゃれバズーカ砲」だったのだ。それも連射バズーカーである。くすくすではなく、ドカンドカンと笑いが起きる。将棋関係者だけの集まりであるがゆえであろうか、彼は将棋以外のだじゃれをも披瀝してくれた。それも、ある時はクイズ形式にして。一つだけ紹介しよう。

「ある子どもの家から10メートル先にあるのは誰の家?」

正解は「先生の家」であった。10メートルは1000センチつまり「先生んち」だ。

根っから陽気な音二郎がそこにいた。私は腹を抱え、涙を流した。さらに、宴会お開きの別れの時、彼はこう言って手を振ってくれた。

「それでは、マタニティー」

豊川の揮毫


揮毫

揮毫

ご覧いただきたい。豊川の揮毫である。

「敗局はきびしき恩師なり」

もう一つの豊川の素顔がここにある。底抜けに明るいサービス精神とともに、将棋に対する真摯な姿勢。まさしく、自由・平等をまじめにとことんまで考え抜いた音二郎そのものである。余談だが、この揮毫は、我が子ども将棋教室「将星会」の宝物である。将棋文化を世間に届け、振り向かせる。この難事業は豊川抜きでは不可能であろう。私はそう確信している。最後に彼の著書を紹介してこの記事を終えたい。おつきあい、ありがとうございました。それでは、皆様、マタニティー。

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追記

「敬称に関して」

文中における個人名の敬称について、ガイドは下記のように考えています。
(1)プロ棋士の方の活動は公的であると考え、敬称を略させていただきます。ただし、ガイドが棋士としての行為外の活動だと考えた場合には敬称をつけさせていただきます。
(2)アマ棋士の方には敬称をつけさせていただきます。
(3)その他の方々も職業的公人であると考えた場合は敬称を略させていただきます。

「文中の記述に関して」
(1)文中の記述は、すべて記事公開時を現時点としています。



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