歌手をめざしたきっかけ
ガイド:カンアキトシさん、どう呼ぶのが一番いいですか? 先日は六本木SuperDeluxeで行われた「ゲインズブール・ナイト2014」で初めてお目にかかりましたが、カンアキトシ(akitoshikan)というお名前を見た時、僕は勝手に男性だと勘違いしていました。今日はインタヴューを通じて深層に迫るつもりなので、よろしくお願いします。
カン:
みんなからは「カンちゃん」とか、大学の同級生や先輩は「アキトシ」と呼びますね。サエキけんぞうさんからは「カンさん」とかいろいろです。
ガイド:
じゃ、カンちゃんで。歌手に成りたいという願望をもったのは、いつ頃ですか?
カン:
はっきり決意したのは10歳の時ですね。2歳から祖母に歌を教えられていたので、なんとなくやっていた、という感じでしたが、6歳くらいの時に、録音した声があまりにも気持ち悪くて「わっ!私の声って、なんて気色悪いんだ!」って実はショックでした。
ガイド:
さいさきはあまりよくなかったんですね。
カン:
当時、あるオーディションで中森明菜さんの歌を歌ったら。猪俣公章先生が「それはどこで習ったんだ?」と聞かれ、「ラジオを録音して聴いていました。」と答えました。そしたら、「キミの声は素晴らしい!色気がある!」とか言われた事があったんですが、それがきっかけでボイストレーニングに通う事になりました。しかしながら、全く自覚がなく、「そうか…」としか覚えてないですね。ちびっこ歌合戦のオーディションをかなり受けさせられていて、島倉千代子さんの歌とか歌わされてたんで、且つプロデューサーさんからも否定的に言われたり、凹む事ばかりでした。
ガイド:
子供なのに「色気がある!」…いいじゃないですか(笑)。
カン:
しかし、ある日、それが10歳ですね。渡辺美里さんの「My Revolution」を聴いた時に、彼女の声にとても惹かれたのです。恐れ多いですが、自分の声にもちょっと被るところがあるんではないかと。…初めて自分の声が好きになりました。
ガイド:
お祖母さんの話がありましたが、カンちゃんがその頃いた環境に触発された部分もあるんでしょうか?
カン:
あとは母方の叔母が既に歌手で、宇多田さんのお母さんの結婚式に行くほど仲が良かったらしいです。
ガイド:
僕の世代には藤圭子さんの方で十分通じます(笑)。
カン:
母は叔母を連れて平尾昌晃音楽スクールに通っていて、叔父はジャズのトランペット吹きだったらしく、福岡によく海外アーティストを呼んでいたという事は聞いています。
いじめられてました
ガイド:学生時代はどんな少女だったのですか?
カン:
小学生の時は、いじめられてました(笑)。中学も、いじめられていました。思い返してみると、口の利き方が尖っているというか…生意気な子供だったかもしれません。地方のテレビにも出演したりして、目立って鼻につく…思った事を素直に言ってしまう自分の発言にも原因があったのかと…
ガイド:
子供社会の暗黙の規範をやぶっていたんでしょう。「イジメ、ダメ、ゼッタイ」を聴かせてあげたかったです。で、高校で変わったのですか?
カン:
高校では部活もなく、いじめもないかわりに、みんな黙々と大学へ行く為の勉強してましたね。
なんか心がないっていうか、うすっぺらい生活になんの楽しさもなく、ダンス教室に通ってましたね。バンドもやってました。実は、さっきお話しした昔のいじめっ子というか中学の先輩となぜか仲良くなって、ティーンズミュージックフェスティバルまで出てましたよ(笑)。でも、仲良くしてくれていたお友達は2人だけで、小学校、中学、高校、今でも仲良くしてくれています。親友と呼べるのはその2人だけです。同じミュージシャンが好きだったのもあって音楽の話をしたり、私の苦悩や悩みを今でもずっと聞いてくれててくれていました。勿論パール兄弟も良く知っているから、今のこの状況をびっくりされているくらいです(笑)。