他人に感激を与えることで、金持ちに近づける理由

活用できるものは「サビ残」だけではない

活用できるものは「サビ残」だけではない

お金がもらえない、「サービス残業」も自分の成長に役立ててしまうのが「金持ち」流。第3回目では、サービス残業などの一見不利な状況を活用してもっとハッピーになれるという金持ち流の考え方にも言及したいと思います。(第2回目から続きます)

ちなみに、以下は前回のコラムで私が考えた「サビ残」を全否定する人の問題点です。

1 会社サイドの視点と、労働者の視点がごっちゃになっている
2 ルールを守ることが目的になっている
3 個人が本当にハッピーになるための戦略がない
4 視野が狭くなる
5  人間の感情の機微への洞察に欠ける
6  正義感が視野の狭さにつながることもある
7  反発の感情が学習能力を低下させる

今回は、6の「正義感が視野の狭さにつながる」から、「サビ残」全否定への問題点について考えてみましょう。

6、正義感が視野の狭さにつながることもある

何かあったらすぐに悪だ、悪だと騒ぐ人は、成功から遠ざかる正義感の持ち主だと言えます。

善だの悪だの、簡単に切ってしまう二元論的発想は、視野を狭めます。世の中にはグレーなものの方が多く、ひと口に正義や正論を主張しても、時代や立場によって変わるものだからです。

たとえば、幕末の維新志士と新選組はどちらが正義でしょうか。答えはどちらも正義です。立場は違えど、お互いが日本のためを思って戦っていたのですから。

以前、こんな話を聞いたことがあります。
地下鉄の中で、3人の子どもが走り回って騒いでいました。しかし、その父親とおぼしき男性は、下を向いたままほったらかしにしていました。見かねた隣の女性が、「お子さんが騒いでいるのに注意しないのは良くないですよ。みんな迷惑していますから。」とこっそりと耳打ちをしました。その男性はハッと顔を上げ、こう答えました。「すみません、気が付きませんで。さっき妻が病院で亡くなり、混乱していたんです」

それを聞いた女性は絶句し、「無責任な父親と、わがままな子ども」という印象が、「妻に死なれて呆然としている夫と、母の死を理解できないかわいそうな子どもたち」という印象に変わったというのです。

昔は、好きな人の後をつけたり待ちぶせすることも珍しくなかった。職場の上司が部下の見合い相手を紹介することも珍しくなかった。でも時代が変わり、今はストーカーだセクハラだとして禁止された。そして、これからも変わっていく可能性があります。

つまり、ひとつの物事も、よくよく考えて批判しないと、あとで常識ハズレになりかねないというリスクをはらんでいます。

また、遠くから善だの悪だの叫ぶことは、建設的な問題解決から遠ざかることもあります。以前、某女性漫画家が飛行機の中で泣き叫ぶ赤ちゃんについて、航空会社にクレームを言ったという出来事が話題になりました。

これも文句を言う前に、たとえば赤ちゃんのところに駆け寄って自ら泣き止まそうとしてみれば、何か前向きな解決方法が見つかったかもしれません。正義とは、行いや発言が常識はずれの人や、失言をした人を叩くような行為ではなく、もっとハッピーになるための「行動」のはずです。

そして、元コラムのサブタイトルにもあるとおり、「すべての事象において、複数の側面がある」というのが基本的な私の考えです。

たとえば「不動産不況」といったって、それは業界サイドの見方。業者からすれば、不動産価格が下がるのは、売上も下がるので困ることです。でも消費者にとっては、価格が下がったらうれしいですよね。

翻って、「企業」からすればサビ残の強制や残業代を払わないことは、れっきとした法令違反であり、そこは同意します。では同じく見方を変えて、「個人」ならどうか。

「サビ残」というものは「成功したい」「成長したい」「チャンスを掴みたい」という個人の視点からなら、必ずしも悪にはならない。場合によっては自己投資、自己アピールの手段にもなりうる、ということが見えてきます。そうやって、つねに物事の複数の側面を読み取ろうとすれば、新しい可能性が開けてくるはずです。

一般人とは、一般常識に縛られていて視野も狭いから、思考も行動も狭く、成果も普通であるということになります。これでは他者との競争に勝つことはできません。突き抜けるためには、一般常識とは反対の結論が出てくるほうが自然ともいえます。

もちろん、成功や利益を求めていないのなら、サビ残を徹底的に批判すればいいだけで、それは本人の自由です。


7、反発の感情は学習能力を低下させる

これはBLOGOSの記事を読んで改めて気付いたことです。

繰り返しになりますが、これは「ニューリッチへの道」シリーズですから、サビ残が良い悪いを論じているわけではなく、「人に認めてもらうには、正義や正論にしがみつくのではなく、感激を売るという先行投資が必要」ということです。

だからこそ、「普段とは違う、ちょっとだけサービスというのが心に響く」「期待していない場面で思いがけないサービスは、人の心を打つ」「感激は、人の心を打つ。心に残る。だから客が途切れない。それはビジネスをやる上で、大きな安定感となります」などなど、何度も繰り返し同じメッセージを発しているわけです。

また、サビ残だけの事例は極端だし誤解を与える可能性もあると考えたため、ほかにも、

・見積もりを提示される時、「端数だけ値引きしときますね」
・ランチ出前のおじさんに「ちょっと大盛りにしといたよ」
・居酒屋で「日本酒の残りが少なかったんで、グラスなみなみに入れとくよ」とたまにやって顧客のハートを掴む


といった事例も紹介しました。

にもかかわらず、冒頭に述べたように、ただの一事例に過ぎないサビ残にフォーカスし、このコラムのメインメッセージを見落としてしまっている。サビ残に反発すること自体は構いません。読者がどう感じようと、それは自由ですから。

しかしコラムに反発した人で、「では他の方法で、どうやったら最小の投資で最大効果を得られるか?」を考え抜いた人は、いったい何人いるでしょうか。

感情的に反発すると、内容を全否定してしまい、そうした考察はできないでしょう。つまり思考が浅くなる。枝葉末節にとらわれ、本当のメッセージに気づかない、そこに考察が及ばないとしたら、このコラムから何も得られないということになります。読むのはタダでも、読んだ「時間」は全損です。

要するに、「人は自分の価値観や考え方とは違う主張に感情を揺さぶられたら、学習能力も低下する」というのが、今回の新たな発見です。逆に言えば、多様な意見を受け入れることができれば、自分の思考領域が広がり、学習能力も上がる、ということではないでしょうか。

と、3回にわたって補足してきましたが、私の周りには年収1億以上稼ぐ友人知人が何人もいるので、彼らとの違いをベースに私なりの視点で解説したものです。もちろん、いろんな考え方、価値観がありますので、それぞれが自分の信念に従えばいい。それが本人の人生を作っていくのですから。私も他人の労働観や人生に興味はないので、強制するつもりは毛頭ありません。

ただ、私は趣味で書いているわけではなく、お金をいただいて仕事として本コラムを担当していますから、読者の目的にかなう記事を書いていく義務がある。
そんな「ニューリッチへの道」というコンセプトに照らしたとき、言葉が足りなかった部分を補う必要があると感じ、考え方の違いを浮き上がらせたいという意図で、ご紹介させていただきました。

なので、いちおう念を押しておきますが、BLOGOSの記事の執筆者、あるいはコメントを書き込んだ人に対して反論とか批判とかをしたいわけではありません。
むしろ私の解説不足のポイントが明確となり、新たに気付かされたこともあり、感謝をしております。

【関連記事】
第1回目「金持ちになるための戦略としての「サビ残」論」
第2回目「金持ち体質と「サビ残」の関係、徹底的に考えてみた」