今回インタビューするのは『小林劇団』三代目座長、小林真。
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あえて時代錯誤な表現をするが、ファンの大半を女性が占める大衆演劇業界にあって小林真の芝居は“男でも観ることの出来る芝居”だ。
浮わついた時流に流されず、あえて険しい道を進むことは真の実力者にのみ許されるロマン。この男、只のドン・キホーテではない。

久々の関西ツアーを終えて

ガイド:2014年の春から夏にかけて小林劇団は久しぶりに関西の劇場をまわったわけですが、お客さんの反応はどう感じられましたか?
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真:そうですね。7月の新開地劇場に至っては8年ぶりですからね。来てなかったってことは固定のファンも少ないし、人気劇団がすぐ近くで公演しているから苦労することはありましたけど、確実に成果もあったんじゃないかと思ってます。

ガイド:関東とか九州にくらべると関西のお客さんってどんな傾向がありますか?

真:関西だからなのか時代の流れなのかはわからないですけど、お芝居に対してあまりに軽いノリを求める層がいますよね。

ちょうどこないだ公演が終わって送り出しの時に、お客さんから思ってもみない感想を言われたんですよ。「お芝居が暗い。もっと明るくおちゃらけろ」というような内容の感想だったんですけど、どうにも納得できなくて……

ガイド:小林劇団ってシリアスな泣きのお芝居が売りですもんね。
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真:そうなんですよ。それは劇団が始まって以来の方針ですから。もちろん息がつまらないように随所に笑えるポイントは作ってるんですけど、そのお客さんが言うのは「もっとふざけてお芝居しろ。下ネタも入れたら」っていうことなんですよね。

「ふざけてたらまともなお芝居なんて出来ないし、なんでまともなお芝居で関係ない下ネタなんか言わなくちゃいけないの?」って思ったんですけど、そこまで正面きって否定されるとさすがに落ち込みました。食事もできなくなるくらい。

ガイド:明るいお芝居する劇団ばかりを見慣れすぎちゃってるんですかね。個人的にはお芝居って観る側のセンスも問われるべきだと思うんで、真さんには我が道をつらぬいてほしいです。そういうことで思い悩んでしまう人柄は好きですけどね。

やんちゃだった十代

ガイド:小林劇団は九州演劇協会の所属だけど、真さんはどちらかというと広島に地元意識があるんですよね。

真:劇団を作ったお祖父ちゃんとか両親は九州出身なんですけど、僕は中学まで広島で育ちましたから。今は親が福岡県に家を買いなおして、一応そこが本拠地ということになってるんですけど、僕にとったら何があるわけでもないしほとんど帰ることがないです。

ガイド:帰る場所があるというならやっぱり広島なんですね。

真:そうですね。帰ったら友達と飲んだりできますからね。広島の清水劇場で公演するときは、今でも中学の友達が総出で応援に来てくれるんですよ。

ガイド:真さんって子供のころはどんなキャラクターだったんですか?

真:人見知りをしない、よくしゃべる子供だったらしいですよ。「口から先に生まれてきたんか」って言われるくらい。

ガイド:ムードメーカー的な素質は昔からあったんですね。やんちゃしてませんでしたか?

真:悪さしてたらしいですね(笑)僕、子供の頃は柔道やってて体重も98Kgとかあったんですよ。

ガイド:強力なキャラクターですね!そんなちょい悪な青春を謳歌していた真さんが、中学を卒業して役者の世界に戻ったのはどうしてですか?

真:ほんとに小さな子役時代以降はほんとに役者をするつもりはなかったんですけどね。でも15歳の時、僕のやんちゃぶりを見るに見かねたお祖母ちゃんから「おまえ役者になれ!それじゃなかったらヤク〇になれ!」って説教くらったんです。

「さすがにヤク〇はヤバいから役者になろうかなぁ……」ということで今に至るんですよ(笑)

必死で芝居に取り組んだ青春

ガイド:15歳で本格的に役者の活動を始めたわけですが、苦労することはありましたか?
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真:踊りも芝居もぜんぜんわからなくなってましたからゼロからのスタートですよね。正直「この先どうしようかな」と思ってたんですけど、そんな時にうちの劇団から主力の役者が何人かいっせいに辞めちゃったんですよ。

ガイド:辞めるに辞めれなくなったんですね。

真:はい。それどころか、お芝居の主役級の役柄がどんどん僕にまわってきてすごいプレッシャーでした。

でも今にして思えば、あの頃必死になって勉強したから今のスタイルが出来上がったのかなとも思います。自分を追い込んではじめて見えてくる何かがあることにも気づきましたし。いまだに演技の技法やお芝居の内容について「もっと知りたい」っていう気持ちは強いんですよ。

テレビ業界に進出……も三ヶ月でリタイヤ

ガイド:19歳の時、テレビの業界にも進出されてたんですよね。

真:大衆演劇業界から橘大五郎、僕、早乙女太一くんっていう順番で東京のテレビ業界に売り込んでいただいたんですよ。CM、地上波の番組、BSとかいろいろ出て大五郎とも"美しさを競う"みたいな番組で共演しました。僕だけ三ヶ月で辞めちゃいましたけど(笑)

ガイド:三ヶ月!何があったんですか?

真:僕はだいぶ頑固でヘンコなんですよ(笑)一般の芸能人と大衆演劇役者の扱いに差があるのがミエミエすぎて辛抱できなくなっちゃったんです。

「こんな扱いされてまでテレビで人気出したくない!」って。

ガイド:いいのか悪いのかわからないけど大きな決断でしたね。辞めたことで周囲の反応ってどうでしたか?

真:テレビ出演をきっかけにファンになってくれた人もかなりいたんで「今度いつテレビ出るの?」って聞かれると返事に困りましたよね。いろんなしがらみもあるから辞めたこと自体を言いにくかったし。「なんか犯罪したら出ますよ!」なんて言ってごまかしてました(笑)

ガイド:短い活動期間ですが、テレビによる変化って大きかったですか?

真:得たものは大きかったですよ。いろいろ経験できたし、お芝居に来るお客さんも格段に増えました。今でも当時についてくれたお客さんは多いんです。

座長のプレッシャー

ガイド:真さんは2005年、21歳の時に座長を襲名されたわけですが、これは劇団的にはどんなタイミングだったんでしょうか?

真:別に特別なきっかけがあったわけじゃないと思うんだけど親から「お前座長になれ!」って言われて。ほんと急だったんですよ。

ガイド:外部の人からはわかりにくいと思うんですけど、座長になったら仕事面では具体的にどんな変化があるんですか?

真:座員たちを指導する役割が大きくなるんです。稽古をつけたりプログラムを決めたり。
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座長になると“小林真”が看板になるから、全部の責任をもたなくちゃいけない。演劇関係者からもお客さんからも「あんた座長なんだからしっかりしなさい」って評価が厳しくなりましたね。

ガイド:後継者として責任感を持たされるってことなんですかね。

親と子 新旧対立

ガイド:座長になったとは言えご両親もまだまだ現役で舞台に立たれているわけですが、意見がぶつかることってないですか?

真:さすがに今は少なくなりましたけど、座長襲名した当初は意見バラバラになっちゃいましたね。座員も誰についていけばいいのかわからないぐらいに。

ガイド:具体的にどんなところで意見がぶつかったんでしょうか?

真:主にお芝居の時代考証みたいな部分ですね。僕らの世代ってインターネットも身近にあるし、どんなことでも正確な情報を求めたくなるじゃないですか。

「この時代にこのセリフ、この衣装はおかしい」って僕が言うと、父は昔かたぎの役者だから「この演目は昔からこうだったんだ!」って怒るし母も「小林劇団の芝居を守らなくちゃならない」って肩を持つから言い合いになるんですよ。

ガイド:その対立はどんなふうに解決していったんですか?

真:僕が中心になってお芝居を作るときは僕の思ったように、両親が中心になるときは両親の思ったようにするって具合に棲みわけていきました。

自分も結婚したり子供が出来たりする中で、少しずつ「両親が作ってきたものを尊重してあげたたいな」と思えてきたんですね。

急逝した弟 小林正利のこと

ガイド:お酒飲むときはいつも明るく楽しい真さんですが、2011年、当時花形をつとめていた弟の正利さんを病気で亡くすという不幸に見舞われているんですね。

真:はい、もう3年になりますね。急に体調を崩して、診断が出てから亡くなるまで25日でした。

ガイド:真さんにとって正利さんはどんな存在だったんでしょうか?

真:今振り返るとすごく大きいですよね。お芝居や舞踊であいつが作り上げた要素はかなりあるし……兄弟の中でも性格とかいちばん僕に似てたんですよ。

ガイド:頑固でこだわり屋だったんですよね。

真:仕事に熱心な男でね……役によって化粧の仕方も全部違うんですよ。演技にしても同じことは絶対にしない。

正直言って僕はあいつが怖かったです。「いつか抜かれるんじゃないか」って本気で思ってた。

ガイド:身内だけどライバル視してしまうほどのものがあったんですね。

真:真っ向から向かい合えてたら良かったんですけど、その頃の僕は8歳年上の兄ちゃんとして「負けてはなるか」みたいな気持ちばかりで、あいつのあら探しばかりしてしまってたんですよ。

怒るばっかりの関係になってしまって、自分の行き過ぎに気がついた時にはあいつはもう死んでしまってたんです。

ガイド:まさか亡くなるなんてね……

真:病気がわかる2日前に『次郎長と小政』というお芝居をしたんです。僕が次郎長、あいつが小政の役で、普段なら「親分!親分!どうかわかっておくんなせぇ……」っていう小政のセリフの見せ場があるんですよ。

でもその時、あいつの演技からはまったく伝わるものがなくて、公演後に「お前はやる気があるんか!普段遊びまわってるからこんなことになるんや。もう明日から芝居には出さん!」ってめちゃくちゃに怒ってしまったんですよ。

でもその次の日、ミーティングとか稽古してる時、正利を見たら真っ青になって明らかに具合が悪そうでね。病院に連れて行って血液検査したら白血病ですよ。

ガイド:病院に連れて行かれるまで自分から体調が悪いとは言わなかったんですか?

真:言わないやつだったんですよ。もう少し早く気づいてやれたらとか優しくしてやれたらと思うと後悔があります。今でもあいつの遺品とか着物は整理できない。

ガイド:やっぱり小林家の中でものすごいインパクトを残して亡くなってしまったんですよね。小林劇団の演目スケジュールを見ると月命日には必ず正利さんを偲んだ演目をやっておられますよね。

真:はい。月命日もだし、5月22日の命日には仲の良かった友達とか呼んで『正利会』っていうイベントを開くんです。前に中将さんのインタビューに出てた玄海花道も幼なじみですごい仲良しだったから気にかけてくれてるんですよ。

僕や兄弟が生きている限りは、小林正利という役者が存在したことを後々まで伝えていってやりたいですね。

小林真、龍美麗、橘大五郎という兄弟分

ガイド:真さんと、以前このコーナーに出演してくれた橘大五郎さんとは兄弟分だと聞いたんですが。

真:何を隠そう、僕と『南條隆とスーパー兄弟』の龍美麗、『橘劇団』の橘大五郎の三人は橘菊太郎さんによって形成された兄弟分なんです。

ガイド:おぉ、『橘劇団』の菊太郎総座長はそんなところでも暗躍されていたんですね。

真:三人が共演した浅草の大会の打ち上げで、菊太郎さんに「お前が一番年上なんやから、兄貴分になって二人の面倒見ていけ!」って言われたんですよ。それで深夜一時過ぎてるにもかかわらずいきなり「盃を出せ!」って(笑)そんなもんあるわけないから醤油うけに眞露をそそいで兄弟分の盃をかわしたんです。日本酒よりアルコール度数高いぶん濃い兄弟じゃないかなと思いますよ(笑)

ガイド:プライベートで飲んだり、ゲストに行き来してけっこう共演する機会も多いんですよね。

真:お互いの誕生日では絶対に行き来しますからね。さっき僕が落ち込んでた話しましたけど、あの時も公演後にわざわざ大阪から励ましに来てくれたんです。慕ってくれてるのかな。弟は何人いてもいいもんです。嬉しいですよ。

新しい時代の表現者として

ガイド:真さんは大衆演劇界には珍しいほど現代的なセンスや技巧を追求するタイプですよね。地髪や洋装でお芝居することもあるし“大衆演劇に新しい要素を取り入れる”というより、なにか新しい存在になろうとしているんじゃないかとさえ感じています。
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真:そうですね。昔だとほんとにざっくりした演出で、ひたすら綺麗に見せるのが大衆演劇だったんですけど、今後はもっと違った方向性もアリじゃないかと思うんです。

古いものを否定はしないけど、どうせ新しいことを取り入れるなら大胆にやっていきたい。

ガイド:現代劇にシンパシーを感じる部分は大きいのでしょうか?

真:いろいろ研究はしますよ。今のお芝居でも鬼気迫る立ち回りをスローモーションで表現したり、いろんな挑戦をしています。

現代ってテレビや映画の時代劇はもちろん、歌舞伎ですら故・中村勘三郎さんをはじめ新しい表現に挑戦してるような状況じゃないですか。

その中で、僕も大衆演劇というフィールドに新しい風を送り込んでいけるような存在になりたいんです。
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小林劇団としての目標

ガイド:今後の小林劇団としての目標ってなんでしょうか?

真:細かい部分ではいろいろあるけど、大きな目標はやっぱり「心のあるお芝居をしていたい」ってことですよ。

いつもどんな場所でも気を抜かずに、一生懸命感動を伝えられるお芝居がしたいんです。インターネットで現在進行形の評判が世界中に伝わってしまう時代だから、いっさい手が抜けない。それは一年中仕事をしている僕たちにとってかなりしんどいことだけど、それを可能にするのが"心"だと思うんです。
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7月は真ちゃんとよく飲みました。お芝居もだけど、プライベートでもほんと"心"の男です。おいしょ!

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※インタビューにご協力いただいた『新開地 赤だるま』さんに感謝いたします。



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