地名は長崎、南長崎、
駅名は同名を避けて東長崎
鎌倉時代に幕府執権北条氏の重臣長崎氏の領地であったことからその名がついたという説が有力で、西武池袋線を挟んで北側に長崎1~6丁目、南側に南長崎1~6丁目が広がっています。駅自体は長崎4丁目、南長崎5丁目の間にあり、長崎、南長崎のそれぞれ1丁目にはお隣椎名町駅があり、また、南長崎4丁目には大江戸線落合南長崎駅があります。ところで、地名としては長崎、南長崎しかないにも関わらず、駅名が東長崎になったのは九州の長崎駅と同じではまずかろうという判断からだとか。東京と九州、間違いようはない気もしますが……。
江戸時代には幕府領と鷹匠の知行地だったそうで、八代将軍吉宗などは猪狩りに好んで訪れた土地と言われています。当時は農地と雑木林が広がるのんびりした場所だったのでしょう。その後、開発が始まるのは大正に入ってから。大正4年に武蔵野鉄道(現在の西武池袋線)が開通、大正12年の関東大震災以降に人口が流入、農地は宅地に変わっていきます。池袋が近いこと、お隣江古田に大学があることなどから、単身者向けの手頃なアパートも増え、現在に続いています。
大小6つの昭和な商店街は、
安さ、業種の豊富さで住みやすさに貢献
さて、街の様子を見てみましょう。駅の南北には大小6つの商店街があり、特に線路北側の東長崎十字会は魚屋さん、八百屋さんなど生鮮食料品店が軒を連ね、価格も手頃。傘屋さん、お茶屋さんなど、古い街でなければないような業種もあり、昭和の商店街といった趣。スーパーもあるにはありますが、商店街から少し離れたところにあり、併存しているというところでしょうか。
飲食では中華料理屋さん、蕎麦屋さん、洋食屋さんなどが目立っていましたし、行列のできるラーメン屋さんも。若い人、忙しく働く人が多いのでしょう、お手頃価格の弁当や惣菜店などもあり、全体には庶民的な、住みやすい雰囲気です。その一方で有名人も多く通うといううなぎ屋さんなどもあるのだとか。東長崎の食は奥が深いようです。
また、アパートが多いため、商店街にはコインランドリー、長崎、南長崎には3軒の銭湯も。商店街を見ていると、通りすがりに立ち話する人も見られ、昔ながらの暮らしが残されているようです。
その一方で南側の駅から目白通りに向かって伸びる商店街では空き店舗が増えているのが気になるところ。今回の取材以前にも何度か訪れていますが、その時には盛業とはいえないまでも開いていた店がシャッターを閉ざし、募集もかけていないところもある様子。個人商店が中心だっただけに高齢化などが影響しているのでしょう。新しい店舗が増えてくれることを祈りたいものです。
さて、商店街から一歩入ると住宅街ですが、基本的には小規模な集合住宅と一戸建てがメイン。駅周辺にもスペースがないため、大きな規模の建物はなく、少し離れて目白通り、目白通りと西武池袋線の間を走る通りなどで中小規模のマンションを見る程度です。 また、駅北西を走る千川通りはかつての千川上水跡で、現在は桜並木で有名です。
落合南長崎駅近くには
スポーツ公園、複合商業施設が登場
また、このエリアは住宅地が中心で公園などがほとんどない地域でしたが、平成25年7月に目白通りに面した長崎中学校の跡地を利用、南長崎スポーツ公園が誕生しています。東長崎駅からは7~8分、大江戸線の落合南長崎駅隣接の場所で、プール、トレーニングジム、フィットネスルームなどを備えたスポーツセンター、少年サッカー場(多目的広場)、芝生広場、じゃぶじゃぶ池(夏期)などを備えており、防災時には避難所にも。これまで近隣になかった施設だけに休日には子ども連れで賑わっています。
この施設と向かい合う場所には平成24年にオープンした複合商業施設アイテラスがあり、開業時には寂しかった落合南長崎駅近くはかなり賑わいを増してきています。
もうひとつ、豊島区がこのところ力を入れている観光拠点として整備されているときわ荘通りもこのエリア。最寄駅は椎名町、落合南長崎となっており、東長崎からは多少歩くものの、さほど遠いというほどでもありません。お休み処に加え、ところどころに看板がある程度ですが、漫画好きの人には楽しめるでしょう。
最後に西武池袋線東長崎、都営大江戸線落合南長崎の住宅事情を見ていきましょう。