テクノポップ/海外のテクノポップ

東ドイツで活動したアーティストに取材(共産テクノ)(5ページ目)

ここまで僕の共産テクノに関する調査研究をしてきましたが、今回は実際にその時代に活動していた東ドイツ出身のアーティストであるフランク・ブレットシュナイダーに突撃取材。現在もraster-notonというレーベルを立ち上げ、電子音楽の世界で現役バリバリのフランクに僕の疑問をぶつけてみました。

四方 宏明

執筆者:四方 宏明

テクノポップガイド

遅過ぎた規制緩和

ガイド:
『Trickbeat』は、1989年にAmigaからもリリースされたとの事ですが、その頃になると、Amigaも柔軟になったという事でしょうか?

フランク:
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AG. Geige @Frankfurt (1991)

80年代末までに、東ドイツの権力者たちは若い世代の多くが東ドイツの現状に不満になってきているということにやっと気づいてきたのです。どんどん人々は国を去っていき、少なくともそう試みていました。だから、政府は規制を少し緩めて、特に文化、音楽、芸術の領域では若い人向けにそうしました。政府がコントロールするラジオ局はより従順でなく正統とされない音楽を流す事を許されたのです。バンドは彼らのテープを送り込んで、放送できるようになりました。それは、「Die anderen Bands (他のバンド)」と呼ばれる若いミュージシャンたちのニューウェイヴでした。これらのムーヴメントによる圧力下、東ドイツ放送に対抗して、Amigaはそれらのバンドのリリースをせざる終えなくなったのです。しかし、彼らはそれを好きではなかったし、とても保守的でした。最終的には遅過ぎたんですけどね。

 

高価な電子楽器

ガイド:
高価で当時どんどん進歩していった電子楽器が必要だったと思いますが、旧東ドイツ時代、どのようにそれらを調達していたのですか?

フランク:

その通り!これは大事なポイントです。東ドイツはシンセサイザー、ドラムコンピュータ等、電子楽器を全然作っていませんでした。だから入手は困難でした。もし西ドイツに親戚がいれば、助けてもらえるかもしれません。他の方法は、闇市場で買う事。でも、本当に高い。例えば、僕の最初のシンセサイザーは中古のKorg MS-20でしたが、5,000東ドイツマルク(*当時の平均月収は約800東ドイツマルク)も払ったのです。一方、東ドイツの日常生活にはお金がかからない。僕はいつもシンプルで控えめのライフスタイルだったので、全てのお金は楽器につぎ込みました。

東ドイツのアーティスト

ガイド:
東ドイツであなたが好きだったまたは尊敬していたアーティストがいれば、教えてください。東ドイツ内に共通項があるまたは共感が持てると思った他のバンドはありましたか?

フランク:

僕が好きで憧れていた東ドイツのアーティストは、文学(Günter Kunert、Stefan Heym)、美術(Carlfriedrich Claus、Michael Morgner)、ジャズ(Günter Sommer, Conrad Bauer)または現代音楽(Georg Katzer)の領域にいました。東ドイツのポップスは、いつも退屈で、メインストリームかドイツの歌謡曲〔シュラガー〕(ごく数少ない例外を除き)でした。ハンガリー、ポーランド、チェコスロバキアのような東ブロックの方に、東ドイツよりも優れたロックミュージック・シーンがありました。例えば、Herr BlumとExpander des Fortschrittsを除けば、僕たちのような電子楽器を使っていたバンドはあまりいませんでした。彼らとは友だちで、時折一緒に演奏しました。

 

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