“2014年を生きる者たち”の視点~『ミス・サイゴン』観劇レポート
『ミス・サイゴン』写真提供:東宝演劇部
帝国劇場で開幕した『ミス・サイゴン』は「2014年を生きる者たちの視点」を明確にすることで、この命題に応える舞台となっています。
その象徴とも言えるのが、2幕大詰めのシーン「アメリカン・ドリーム」。戦火の中をたくましく生き抜いてきた男エンジニアが、いつか渡米し、成功をと夢見るナンバーです。悲惨な生い立ちの独白に始まり、ナンバーは徐々に楽器を増やし賑々しい曲調に移行。“ピン札”だ、“シャンパン”だとエンジニアが妄想を膨らませ、ショーガールたちを始めとする「富」の記号が次々と登場するものの、それらは儚く消え去り、舞台には再びエンジニアただ一人。まるで彼の夢が決して叶わないことを暗示するかのような、おかしくも哀しい一大場面なのですが、舞台上のビジュアルはキャデラックやそれに乗って現れる女の毛皮のコートを含め、ひややかな白が基調。そこに紙幣の降り注ぐ映像や、セクシーというよりきびきびとしたショーガールの振付の無機質なイメージが重なり、観客をエンジニアの夢に引き込むのではなく、むしろ冷静さ、客観的な視点を促します。
最後に妄想の全てが消え失せ、彼がそれにはたと気づく一瞬の静寂は、エンジニアという人物の悲哀を表現するだけでなく、観客に「アメリカン・ドリーム」という概念そのものがもはや過去のものになっていることを再確認するため、打ちこまれた楔であるかのようです。
『ミス・サイゴン』エンジニア(駒田一)写真提供:東宝演劇部
そんな中で、成功=一攫千金であり、アメリカでならそれが叶うという「アメリカン・ドリーム」を、2014年の人々はどうとらえるべきなのか。今回の舞台ではとりわけ、そんな問いかけが強調されているようです。
『ミス・サイゴン』エレン(木村花代) 写真提供:東宝演劇部
苦しみながらも思い切ろうとする、クリスへの愛。それはキムへの思いやりというよりも、9.11後のアメリカ軍の中東派兵を機に世界的にPTSDが認知されたことを背景に、戦争が決して戦場の当事者たちだけの問題ではなく、それがもたらす不幸には際限がないことを改めて訴えようとする作品の姿勢の表れであるかのようです。これまで他のメインキャラクターに比べ情報量の少なかったエレンですが、「メイビー」を通してその存在はさらに重要度を増したと言えるでしょう。
『ミス・サイゴン』キム(昆夏美)写真提供:東宝演劇部
どんな状況に陥っても“アメリカン・ドリーム”を抱き続け、そのためにはなりふり構わず何でもやってのけるエンジニアをこの日、演じていたのは駒田一さん。クラブ「ドリームランド」時代は店を我が物顔で仕切っていたのが人民軍にとらえられ、命からがらタイへと脱出、クラブに潜り込むものの、そこでは雇われの身。時間を追うごとにその姿は卑屈さを増してゆきますが、野心のほうはそれに反比例するかのようにぎらついてゆくという描写が鮮やかです。その歌唱は台詞の一言一言に表情を持たせながらもメロディを聴かせ、エンジニアの生命力をあますところなく表現して見事。
家族を戦争で失い、生き抜くため一縷の希望を胸に都会に出てきた(この日の)キム役は昆夏美さん。今回が初のキム役とのことですが、おどおどと店に出る純朴な娘から、息子のためならポールダンスさえこなす母親へと変貌し、それでも昔の?婚礼衣装”を広げてはクリスを恋しがるといった各局面のキムを的確に表現。彼女が最後に下す大きな決断に説得力を持たせています。
『ミス・サイゴン』クリス(原田優一)、キム(知念里奈) 写真提供:東宝演劇部
今回が3度目のクリスとなる原田優一さんはこの「振り回される過程」を丁寧に演じ、とりわけサイゴン陥落によるキムとの別離のシーンでは半狂乱と言っていい姿を見せ、クリスの心に刻まれた傷の大きさをうかがわせます。歌いながら絶叫し、その直後にファルセットに、さらに地声に転じる……。決して“気持ち”だけではできない、卓越した歌唱テクニックを持つ方でもあります。
『ミス・サイゴン』トゥイ(神田恭兵) 写真提供:東宝演劇部
1幕の開幕早々、エンジニアのクラブで「ミス・サイゴン」に仕立てられるジジ役は池谷祐子さん。半ば捨て鉢になりながらも、いつか映画のように……とはかない望みを、当時同じような境遇にあった何千、何万もの女性たちの思いを代弁するかのように切々と歌っています。またアンサンブルの一人一人も場面が変わる度に緊張、緩和とがらりと舞台の空気を変えていましたが、とりわけサイゴン陥落にあたり、米軍のヘリコプターに何とか乗ろうとするも乗れず、絶望の中でヘリを見送る人々の表現にはミュージカルの枠を超えた迫真性がありました。
『ミス・サイゴン』ジョン(岡幸二郎) 写真提供:東宝演劇部
プロデューサーのキャメロン・マッキントッシュは、本作をブラッシュアップするにあたり、オペラ的な悲劇として物語を見せることより、キムが子のために身を挺する様をリアルに描くことに力点を置いたのだそう。キムの最後の選択については初演開幕時から賛否両論あり、正直なところ筆者もなかなか受け入れがたかったのですが、数年前に出産を経験したこともあってか、今回は「子供の為なら死をも恐れない」キムが感覚的に理解できたような気がします。
また、2幕冒頭「ブイドイ」では実際の孤児たちの施設での記録映像が映し出されますが、おそらく一人一人にトイレトレーニングをしてあげるには人手が足りないのでしょう、ベビーたちがビニールのシーツの上で、おむつも無しに寝かされている光景が気になり、いたたまれない思いでした。映像が撮られてからおよそ40年。あのベビーたちは今、どうしているのでしょう。これほど身近で、「そこで描かれている世界の現実、今」が気になるミュージカルも他にないかもしれません。2014年を生きる全ての人に、観て欲しい舞台です。