今回は、おすすめの書を紹介する。棋士・羽生善治と脳科学者・茂木健一郎の対談書である。

 

羽生はプロではない

ある高名な作家がこう語った。
「お金にならないなら、私は一文字だって書きません。金に汚いんじゃない。それがプロとしての自覚なんです」

プロ野球の有名選手がこう語った。
「契約更改でもめているのは、年俸が選手としてのプライドだからです」

彼らの言葉を是とするならば、羽生はプロではない。あるプロ棋士の言葉も紹介しよう。
「羽生さんは相手が強ければ対局料が100円だって指しますよ。いや、お金払ってでもしたいんじゃないかな」

羽生はプロ棋士ではない(イメージ)

羽生はプロ棋士ではない(イメージ)

同じプロ棋士から、こう見られているのが羽生なのだ。もちろん現実には、七冠制覇という天下統一を行った最高峰のプロ棋士である。ここで考えてほしい。プロ棋士には、将棋が強ければなれるのである。もちろん、すべてのプロ棋士は天才的な強さを持つエリートである。幼い頃からその力を認められ、また自覚もしてきた数少ない選ばれし人間なのであり、努力だけではどうにもならぬだろう才覚が必要とされているのである。だが、繰り返す。強ければなれるのである。実際にそうやって、中学生ながらプロ棋士になった一人が羽生善治という男なのである。

しかし、プロ棋士にはなれても、そして、たとえ羽生を破る棋力を身につけたとしても、「羽生」にはなれないのである。

羽生を「プロ棋士」というカテゴリーで見ていては、実像をつかめない。見方を変えよう。「羽生」という存在自体が新しいカテゴリーなのである。その「羽生カテゴリー」の中に、サブカテゴリーとしての「棋士」があるのだ。

茂木マジック


脳科学者(イメージ)

脳科学者(イメージ)

茂木は今をときめく脳科学者である。いろんなメディアに登場し話題を提供し続けている。同じ分野でメディアに引っ張りだこになった先駆者として養老孟司がいる。その著作「バカの壁」(2003年)は400万部を超えるベストセラーとなった。なんとこれは、戦後史上4番目の記録である。

脳科学と解剖学から導かれた「唯脳論」、そして逆に宗教的とも思える「無常観」をベースにした社会分析が皆の目を引いた。「バカの壁」は週間ベストセラーランキング新書ノンフィクション部門で1年間首位を独占した。そして、その連続記録を破ったのは、自身の続編「死の壁」であったのだから、その人気の破格さがおわかりいただけると思う。養老は最も有名かつ活躍する「スター博士」だったのだ。

この養老と、ある時期をダブらせながら、茂木は台頭してきたのである。これは奇跡的なことである。芸能界から複数のスターが出現することとは訳が違うのである。「脳科学」と言えば、とてもとても狭い分野だ。また大衆の前に露出するような職ではない。にも関わらず、同時期に二人ものスターが誕生したのだ。これは、針の穴をラクダが2匹通ったようなもの、まさしくマジックである。

茂木マジック(イメージ)

茂木マジック(イメージ)

茂木は、いかにしてマジックを表出せしめたのか。脳科学者らしさを身にまとう養老とは、まったく違った脳科学者ぶりをお茶の間に提示したのである。脳科学というシルクハットからハトを出して見せたのだ。ハトの正体は「知と軽さのコラボ」であった。批判を承知で下世話な言葉を使わせてもらうならば、茂木は究極の「ミーハー」だ。見たがり、聞きたがりである。だから、質問がうまい。解答のうまい養老とは正反対である。もちろん、このことも茂木の知性が生み出した戦略なのかも知れないが……。

前述のように養老は、科学者の王道である「対象を分析する達人」である。対する茂木は「対象に分析させる達人」なのだ。

なぜ、私が長々と、養老と茂木の関係を述べてきたのか。それには訳がある。偶然にも、かつての羽生も似たような道をたどっていたのだ。

羽生マジック


羽生が将棋界で輝く前に、おそるべきスターがいた。羽生にとっての養老孟司は谷川浩司(現・日本将棋連盟会長)である。羽生以前に七冠実現を期待されていたのは、ただ一人、史上最年少名人の谷川だけだったのである。谷川の圧倒的な寄せのスピードは「光速流」と呼ばれた。棋士という天才集団の中で、なお「光の速さ」と言わしめた男は谷川のみである。並み居る先輩棋士達を撃破。その読みの深さと正確さは、芸術的とまで絶賛され、立ち居振る舞いは、まさしく棋士らしい棋士であると衆目は一致した。その谷川全盛時代に羽生が台頭してきたのだ。ご存じのように羽生の将棋は「マジック」と呼ばれる。ジャンルの王道を具現化するような先輩(養老・谷川)の全盛時代に、マジックを使う後輩(茂木・羽生)が出現したのだ。そして、重ねるように全盛時代を築き上げる。

共通する「かまわなさ」


以上、私なりに紹介した「茂木」と「羽生」の対談をまとめたものが本書である。脳科学者を彷彿させぬ「ミーハー・茂木」が、「羽生・カテゴリー」を羽生自身に分析させる書だ。読まずには、いられなかった。そして読んでわかったことがある。

断言する。

茂木は、羽生が大好きである。もちろん、脳科学者として、羽生の頭脳は多いに興味をそそられる対象に違いない。だが、それ以前に、きっと好きなのだ、理屈ではなく本能的に。

それは、共通する「かまわなさ」によるのではないか。茂木本人はきっと同意しないだろうが、本質的には身なりにかまわぬ男だと思う。イソップのカラスではないが、裸の人間が究極に許された唯一のおしゃれは髪型だけなのだ。そういう観点で、茂木の「かまわぬ」ヘアースタイルを見れば、頷いていただけるのではないだろうか。カットは自分でするそうだが、くしゃくしゃを気にしているようには思えない。一方の羽生も、今でこそ、パリッとしているが、七冠を獲得した当時は、寝ぐせがトレードマークとされるほどかまわぬ男だったのだ。私は彼の「猛手(もうしゅ)」について過去記事「羽生善治の将棋は何が凄いのか」を書いたが、そのイラストは羽生の「寝ぐせ」をモチーフとしたものだ。

本書は哲学書である

そんな茂木の本能的な「羽生好き」が、随所に現れている本書である。もちろん、悪い意味ではない。これは、茂木の「ミーハー」能力の高さを遺憾なく発揮した素晴らしい書なのだ。だから、羽生も安心して対談に臨んでいる。それが活字だけでなく、その表情からも読む者に伝わってくる。

さて、本書を一言で表せと言われれば、こう答える。

「将棋盤」をまな板にした、「哲学」という料理を味わえる対談書。

茂木は、みごとに「羽生カテゴリー」の中から「棋士」だけでなく「哲学者」を引き出している。 だからメニューとして「美」、「恐怖」、「直感」、「経験」などが出されている。その意味で本書は哲学書と呼んでもいいだろう。数々の質問に、羽生が真摯に答える。そして、それらをたくみにふるまってくれる茂木シェフ。将棋などまったく知らぬという方にも、ライトに読める哲学書だと思う。

ご一読の後、感想などお知らせいただければ幸いである。

 
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追記

「敬称に関して」

文中における個人名の敬称について、ガイドは下記のように考えています。
(1)プロ棋士の方の活動は公的であると考え、敬称を略させていただきます。ただし、ガイドが棋士としての行為外の活動だと考えた場合には敬称をつけさせていただきます。
(2)アマ棋士の方には敬称をつけさせていただきます。
(3)その他の方々も職業的公人であると考えた場合は敬称を略させていただきます。




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