食べてもらえなかったほうれんそうの気持ち
『ほうれんそうはないています』
「おいしくなあれ、おいしくなあれ」。豊かで美しい福島県の自然環境の中で、農家の人たちに手間と心をたっぷりかけられ、すくすくと育っていたほうれんそう。2011年3月、東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故の影響で検出された放射性物質のために、食べてもらえることができなかったほうれんそうは、どんなに悲しく、悔しい気持ちだっただろうか……。絵本『ほうれんそうはないています』は、医師であり作家の鎌田實さんが、この時のほうれんそうの気持ちを想像して描きました。見えない、においもない物質のせいで、みんなが泣いた
「あの日」。色も香りも形もないものが、音もなく降り注ぎ、食べてもらえることができなかった農産物や水産物がありました。毎日穏やかな笑顔で、ほうれんそうに「おいしくなあれ」と声をかけ、慈しみながら育てていたおじさんやおばさんの顔は、心をかきむしられるような悲しみと怒りの顔に変わってしまいました。自然界はすべてが何らかの形でつながっています。だから、土も海も空も木も、花も動物も、みんなが涙を流しました。世の中には「こっちが正しくてあっちが間違いだ」となかなか言い切れないことがたくさんあります。でも、これだけは、言い切れるのではないかと思います。それは、ふるさとや愛する土地を、人間の過ちによって住むのが困難な土地にしてしまうことは、二度とあってはならないということ、そして、この絵本に出てくるほうれんそうやその他の食べ物、おじさんやおばさんのように慟哭する存在を、二度と出してはいけないということ。
歴史のひとコマをどう生きるか問いかける
今という時を生きている人間は、長い長い地球の歴史の中で、小さな小さなひとコマを生きているにすぎず、1人の人間の考え方や生き方は、今の世の中を大きく動かすものではないかもしれません。でも1人1人の心のあり方が、確実に未来の風景を握っています。今を守り、そして未来を守っていくために、食べてもらえなかったぼくの気持ちを想像して、決して忘れないで、二度とこういうことを起こさないで。このことを訴えるために、鎌田實さんと絵本作家の長谷川義史さんが力強いタッグを組みました。「もう、なきたくない」。最後のページにただ一言書かれた言葉が、鉛のような重さをもって、心の奥底にずっしりと迫ります。