「泥沼流」米長邦雄
エジプトはナイルの賜
ギリシアの歴史家ヘロドトスは、壮大華麗な古代エジプト文明を評して、著書「歴史」にそう記した。ナイルが起こす大氾濫はエジプトの人々を苦しめた。泥流に飲まれ命を失った者もいるだろう。眼前に広がる泥沼の惨状に立ちつくすしか術のなかった者もいるだろう。しかし、一方でその泥は肥沃な土地を生んだ。破格の豊饒を民衆にもたらしたのである。さらに氾濫時期を予測するための暦学や天文学、測量のための幾何学を飛躍的に進歩させもした。「泥」の上に文明という華が開いたのである。
将棋界に、その棋風をもって「泥沼流」と呼ばれた男がいる。(故)米長邦雄である……。いまだ破られぬ最年長名人記録保持者(50才)であり、永世棋聖、そして日本将棋界の頂点、つまり連盟会長の席にあった男だ。泥沼と呼ばしめた米長の「泥」とは何だったのか、そして、それは将棋界に何をもたらしたのか。
両極端に位置するカリスマ
カリスマとは善悪、是非を越えた自己主張の塊である。ゆえに、ある者からは教祖のようにあがめられ、また、ある者からは仇敵のように拒否される。その意味でも、彼は棋界のカリスマであった。彼が放つ数々の言動は常に大きな渦を巻き起こした。あたかもナイルの氾濫のように。「横歩も取れない男に負けてはご先祖に申し訳ない」と前代未聞の言葉で対戦相手を挑発したタイトル戦。「名人戦主催」を巡っては「朝日」「毎日」という巨大メディアとの攻防を繰り広げた。最終的に「共催」で落ち着いたものの、多くの傷跡を残したこともたしかであり、その評価については今後に委ねるしかあるまい。さらに園遊会の「国旗国歌発言」に至っては、将棋界という枠組みを越え国民的な議論を沸騰させた。
彼の将棋が「泥沼流」と呼ばれたことはすでに述べた。局面をより複雑にし、互いに泥の中でもがくような将棋に持ち込むのである。ところが、その一方で「さわやか流」とも呼ばれているのだ。一人の人間が指す将棋でありながら「泥沼」と「さわやか」……。この両極端な言葉で表現される棋風こそ、米長という人間そのものを的確に表しているようにも思われる。
2012年12月18日、世の中がクリスマスに湧く喧騒の中、彼は逝った。波瀾万丈の69年間を終えたのだ。
世間に「先手」を指し続けた米長
先手を指す
兄貴達は頭が悪いから……
東大に進学した実兄3人のことを引き合いにしての言葉だ。東大は日本でもっとも偏差値の高い大学であり、京大とともに日本の「知」を牽引する存在であると世間一般に認知されている。そして、米長が生業(なりわい)として選んだ将棋も「知の競技」である。もちろん、そのジャンルはまったく違う。だから、「東大生」と「棋士」のどちらが上位なのか、そんな疑問は「サッカー選手とバスケット選手のどちらのボールさばきがすごいのか」と同様、議論にもならない。そこに、米長は石をたたき込む。皆さんがすごいすごいとおっしゃる東大なんて、たいしたことはない。俺より頭の悪い兄貴達が入学した大学ですよ。棋士の方がすごいのです……。米長は東大に挑んだのではない。東大というブランドを通して世間に異議申し立てを行ったのだ。快哉を叫ぶ者、嫌悪を覚える者、いずれにしても世間は沸いた。思惑通りに反応したのだ。彼にとってはしてやったりだったろう。「東大」にとっては、ほとほと迷惑な話である。運命のあやとでも言おうか、彼が棋士を引退した翌年の2004年、なんと史上初の現役東大生のプロ棋士が誕生する。米長が同じ土俵に上げた「東大」と「棋士」を一人二役で成し遂げたのは片上大輔、現日本将棋連盟理事である。