認知症が進むおばあちゃんを見守る『おもいでをなくしたおばあちゃん』
老人ホームで生活するおばあちゃんを訪ねる、娘のスティーナと孫娘のぺトラ。認知症が進み、2人が自分の娘と孫であることも忘れてしまったおばあちゃんの記憶が、あることをきっかけに揺さぶられます。思い出をなくしてしまっても、長年積み重ねてきた人生の記憶は、おばあちゃんの体の中にしっかり残っている……。絵本『おもいでをなくしたおばあちゃん』は、今という時をゆっくりゆっくり重ねていくおばあちゃんと、おばあちゃんを見守る家族たちにそっと寄り添います。
孫である私のことも、娘であるママのことも分からない
娘のスティーナのことを「おくさま」と呼び、孫娘のぺトラに「おじょうちゃん」と声をかけるおばあちゃん。スティーナが散歩中におばあちゃんの手を取ろうとすると「まだまだひとりで歩けますからね」と、ほがらかに言いながらもいやがります。私の娘は6歳の時に川でおぼれて亡くなったのでいない、と語るおばあちゃん。それは、スティーナの妹のエマのこと。老人ホームに向かう途中でも、娘のぺトラにぼんやりとした表情を見せていたスティーナは、今回も自分たちを思い出してはくれないおばあちゃんの様子にため息をつきます。おばあちゃんの記憶の扉が叩かれた瞬間
孫娘のぺトラは、そんなおばあちゃんとママの様子を、どんな気持ちで眺めていたのでしょうか。子どもは、先入観や周りの評価よりも、目の前にあることを淡々と捉える存在。おばあちゃんが自分のことを孫だと分からなかったとしても、それがおばあちゃんの今のありのままの姿で、おばあちゃんと会っている時間の喜びを何らかの形で表現したかったのかもしれません。ぺトラが何気なく口ずさんだ歌に、おばあちゃんの記憶の扉が優しく叩かれました。娘たちに歌った歌を思い出したおばあちゃんとぺトラは、歌いながら草原の上で踊ります。でもやっぱりおばあちゃんは、ぺトラが孫だと分かったわけではありませんでした。長い人生を重ねてきて、今まで生きてきた人生より残された人生の方が確実にはるかに短くなったおばあちゃんの心の中には、幼くして亡くなった娘のエマの存在が大きく占めていたのでした。でも、2人が訪ねていったときには無反応だったおばあちゃんが、次の来訪を楽しみにしながら手を振ります。おばあちゃんに何か変化が起きたのです。
おばあちゃんの人生の中にある膨大な思い出は、奥深くにしまい込まれてしまったり、うまくつなぎ合わせることや引き出すことができなくなってしまいました。しかし、おばあちゃんの中に確実に思い出が存在することを知った娘と孫娘は、おばあちゃんと別れた後、誰にでも訪れる老いに、2人で思いを馳せます。認知症という重いテーマの絵本の中で、今のその時をどう過ごすかを、寄り添う3人の姿が訴えかけてきます。