歌舞伎/歌舞伎の基礎知識

楽しみ方のレシピ「勧進帳」(1)~物語の背景~

「勧進帳」は決して「初めての歌舞伎」としてはやさしい演目ではありません。残念ながら、多くの方が勧進帳の魅力に気付くことなく立ち去って行ってしまうのが実際です。そこで、この人気のお芝居をいかに楽しむか、ということを4回の連載としてお届けします。ぜひ事前にお読み頂き、物語を存分に楽しんで頂きたいと思います。

堀越 一寿

執筆者:堀越 一寿

歌舞伎ガイド

はじめに

かんじんちょう

勧進帳


歌舞伎の演目で人気アンケートを取ると、ほぼ毎回のように1位を制するのが「歌舞伎十八番のうち 勧進帳」とういお芝居です。おそらく歌舞伎をほとんど見たことのない方も「勧進帳(かんじんちょう)」という名前は耳にしたことがあるのではないでしょうか。

しかし「勧進帳」は決して「初めての歌舞伎」としてはやさしい演目ではありません。残念ながら、多くの方が勧進帳の魅力に気付くことなく立ち去って行ってしまうのを何度も見てきました。そこで、この人気のお芝居をいかに楽しむか、ということを4回の連載としてお届けします。ぜひ事前にお読み頂き、物語を存分に楽しんでください。


第1回 「勧進帳」の幕が開く前に

■物語の背景 ~庶民の歴史感覚~

背景を知る、というのはけっこう大事なんですね。これが分からないと登場人物たちが何をしようとしているのか、いまいち動機や、その時の気持ちが分かりづらくなるからです。

たとえばファンタジー映画などでは、その背景を知らせるための場面が必ず挿入され、物語の世界観を教えてくれます。

けれど歌舞伎は、作られた当時の日本人にとっては当たり前だった知識を前提としているので、その説明をしてくれません。背景を知る、というのは物語を味わいつくすためにもとても重要だとお分かり頂けるでしょう。

また歌舞伎(つまり江戸庶民の認識)で扱われる義経の物語は、実際の歴史とはいくつかの違いがあります。そうした「庶民の気持ちを反映した歴史の感覚」は、正しい歴史通りの「頼朝と義経の対立」とはだいぶ異なっているはずです。けれど、これが当時の庶民感覚だったのだと思ってください。


■頼朝 vs 義経 ~悲運のひと~

時代は鎌倉幕府が生まれたばかり。源頼朝は宿敵・平清盛の一族を滅ぼし、ついに新たな政権を打ち立てました。その第一の功労者が彼の12歳年下の弟、源義経でした。

義経は戦争について天才的な人で、しかも人望もあったようです。平家討伐の第一の武勲を誇る義経。しかもその家来には豪傑として名高い武蔵坊弁慶という忠実な家来もあります。

兄の頼朝は、どうしてもこの天才的な弟に対する恐怖がぬぐえませんでした。人望もあり、戦をすれば天才的な才能を発揮する義経。もし、彼が政治的な野心を抱いたら自分がようやく手に入れた征夷大将軍の地位を脅かすかもしれない。そこで頼朝はついに弟・義経を殺し、自分の身の安全を図ろうと決心するのです。

みなもとのよりとも

源頼朝



■義経の脱出 ~あまりに困難な脱出~

兄を裏切る気持ちなどなかった義経ですが、いわれなき罪で殺されるわけにはいきません。もっとも信頼できる武蔵坊弁慶をはじめとした四天王と呼ばれる家来たちとともに都を去り、陸奥の国(現在の宮城県のあたり)にいる藤原秀衡(ふじわらのひでひら)という人物を頼って落ち延びようとします。

一方、頼朝は是が非でも義経を捕えて殺してしまわなければ安心ができません。日本全国に義経を捕えよとの命令を下します。そこで日本各地に義経を発見し、捕えるために新たに関所が設けられました。これはいわば国境警備所ですが、この時に設けられた関所は目的が義経の捕縛ですから、武装したひとたちが警備をしています。

それに、危ないのは関所だけではありません。普通に街道を歩いていては、いくら道路整備の行き届かない当時の日本でも、いつ発見されてしまうかわかりません。また、自分の土地を離れて旅行をする人などは殆どない時代ですから、どこの土地でも「よそ者」は非常に目立ちます。見慣れぬ旅人や侍を見かければ、厳しく「義経を捕まえろ」とふれが回っているので、すぐに通報されてしまうに違いありません。

いま私たちが暮らす日本とは、そういう点で全く環境が異なるわけです。義経たちの脱出がいかに難しさをきわめたか、想像できますね。


■山伏への変装 ~たったひとつの逃走経路とは?~

そこで、義経たちが選んだ変装が「山伏(やまぶし)」でした。山伏、というのは修行僧で、その修行の場は厳しい山岳地帯です。山伏なら、山中の険しい、道なき道を移動していても不思議はありません。また、通常の街道を行くよりはるかに人目にさらされることもありません。まだ鉄砲のない時代ですから猟師が山に入ってくることもありません。まして通常の生活を送る庶民はそうそう、険しい山の中には入りません。

都から、はるばる陸奥まで移動していくには、山伏の姿はもっとも違和感がなく、最適なものだったわけです。こうして義経一行は、兄・頼朝の厳しい追手の手を逃れようとしていたのでした。

第2回へ続きます
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