小さな事件がきっかけだった『なぜあらそうの?』
野原の石に腰かけて、穏やかな笑顔で1本の白い花を手にしているカエル。「きれいだなあ」と思っているような表情です。そこに穴の中から姿を現したネズミは、しばしカエルと目を合わせた後、突如、跳びかかって花を奪いました。満足げに花のにおいをかぐネズミと、やれやれという調子のカエル……。この小さな事件が、破滅に進んでいくお話の全ての始まりだったのです。『なぜあらそうの?』は文字のない絵本。文字がないからこそ、登場人物の行動や表情、争いが急激に激しくなっていく展開にも、「なぜ?」「どうして?」という疑問が次々にわき上がり、繰り返し読まずにはいられなくなる力があります。
笑顔で続く暴力の応酬
花を奪い返したり跳びかかったりするという行為が、ネズミとカエルの間で繰り返されていきます。最初のうちは、何だか穏やかな微笑みを浮かべながら対立している両者を見ていると、少し激しいけんかで危なっかしいな、という程度に見えます。しかし、争いの内容がどんなに激しくなっていっても、ネズミにもカエルにも、笑いを浮かべている者たちがいるのです。こんな穏やかな野原の、動物たちの物の取り合いから始まった争いなのに、言い知れぬ不安がこみ上げてきます。さすがにネズミたちもカエルたちも常軌を逸している! と気づいた時は、もう遅すぎるのです。とんでもない光景が広がりました。美しい緑の野原も花もなくなった景色の中、仲間たちの姿もなくなりました。大けがをしたり、命を落としたりしたのかもしれません。無傷なまま座り込んでいる事の発端のネズミとカエルは無表情です。何を感じているのか、この表情からは読み取ることができません。
誰もが巻き込まれる可能性がある
1本の花から全面戦争へ……。今、世界のあちことで起きている人間同士の争いは、もっと複雑な背景が幾重にも絡んでいるかもしれません。しかし、どんな争いでも話し合いで解決できないものはないはずで、それができるのが人間であるはず。どこかの時点で止まって引き返せれば、惨事は食い止められます。怖いのは、穏やかな日常の中にいるうちに、引き返せないところに進んでいることに気づかなかったり気づかないふりをしたりしながら、いつの間にか取り返しのつかない大きな恐ろしい波に巻き込まれていることなのではないでしょうか。作者のニコライ・ポポフは、1938年、ロシアの町のサラトフで生まれました。第二次世界大戦の独ソ戦で、サラトフも争いに巻き込まれました。幼かった作者が、仲間との楽しい日常もある中でわけもわからないまま体験した恐怖や仲間の悲劇、もっと成長してから読んだ反戦を訴える小説などが、作者の戦争や暴力に対する怒りの原点となっているそうです。
子どもは平和な日常の中で、友だちや兄弟とのささいなぶつかり合いやけんかをよくするものです。小学生にもなると、大人が介入するのもはばかられ、成り行きを見守ったり、けんかがあったことを後から聞いたり、けんかそのものの存在を知らずに過ぎることも増えます。人とぶつかることは、大切な経験にもなります。しかし、幼児期のけんかように大人が入って止めることは少なくなったとしても、相手を根本から傷つけるということの悲しさや恐ろしさ、話し合って歩み寄り、衝突をプラスに変えていくことの意義を、今、根気よく伝えていかなければいけないのかもしれません。