『イン・ザ・ハイツ』観劇レポート
ラテンとヒップホップ音楽の渦の中で
“わが町”“家族”“ささやかな日常”をいとおしく描き出す舞台
『イン・ザ・ハイツ』撮影:引地信彦
こぎれいとは言い難い店舗や古いアパートが立ち並ぶ町、ワシントン・ハイツ。店の壁に落書きをする悪ガキ(ダンサーの大野幸人さんが奔放なダンスで表現)を追い払いながら、本作の狂言回し、ウスナビ(Microさん)が登場、町の人々をラップに乗せて次々と紹介していきます。自分を育ててくれたアブエラおばあちゃん(前田美波里さん)、タクシー会社を経営するロザリオ夫妻(安崎求さん、樹里咲穂さん)、そこで働く青年ベニー(松下優也さん)、従兄弟のソニー(中河内雅貴さん)、美容室で働くダニエラ(マルシアさん)、カーラ(エリアンナさん)、ヴァネッサ(大塚千弘さん)……。
刻々と予測不可能に展開してゆくスリリングな音楽と、KREVAさんによるぴたりと音に乗った歌詞、それぞれにカラフルで強烈な存在感をもって現れ、リアルに動く人々、シンメトリーな構図の中にアクロバティックな振りや遊びをまぶした、一瞬たりとも退屈さのないダンスがぐるぐると渦を巻き、場内はたちまちのうちに、圧倒的な熱気に飲み込まれてゆきます。振付師でもありヒップホップにもラテン音楽にも精通するTETSUHARUさんの面目躍如、97年初演の『ライオンキング』以来の、衝撃的なオープニング演出です。
『イン・ザ・ハイツ』撮影:引地信彦
物語は青年ベニーと、ロザリオ夫妻の一人娘で町から唯一、大学に通っているニーナ(梅田彩佳さん)の恋を軸に進行します。ベニーはヒスパニック移民たちのこの物語で唯一のアフリカ系という設定で、音楽的にもR&B的なリズムで歌うなど、“ユニークさ”のある役どころ。松下さんは無理にアフリカ系にこだわるのではなく、白いシャツをパリッと着こなし、コミュニティに溶け込もうと懸命な青年の清々しさで“ユニークさ”を表現することに成功しています。
休暇で戻ってきたと思われていたニーナは、実は学費が足らず、アルバイトにいそしみ過ぎて落第。それを知った父(安崎さん、悲哀を滲ませ好演)は貧しさを呪いながらも娘のために会社を売り、ひとりよがりの行動だと妻や娘の反発を買います。そんな折、ウスナビとソニーの経営する雑貨店が売った宝くじから96000ドルの当たりが出、それがアブエラの買った一枚だったことが判明。ウスナビと故郷に戻る夢を語るアブエラですが……。
『イン・ザ・ハイツ』撮影:引地信彦
ウスナビの店の客の平均単価は1ドル前後。この町では誰もが富とは無縁で、つかの間見た夢も次々と打ち消されて行きます。それでも前を向くことをあきらめず、人々は隣人の痛みを共有し、助け合いながら生きていく。オープニング以降も度々登場するビッグナンバーは、そんな彼らの人生の輝きをぎゅっと凝縮して見せるかのようです。ラテン歌謡的な発声とピンヒールをものともしないダンスで、生活感漂う美容師役の秘めた一面を垣間見せるマルシアさん。堂々たる姿勢と歌声でラテン系美女を体現する大塚さん。頼りないようでいて最後にクリーンヒットを放つソニーを、屈託なく演じる中河内さん。隙のない、躍動感溢れるダンスを披露する丘山晴己さん、TOMOMIさんらアンサンブル……。一人一人が魅力的で、舞台にリアリティを与えています。
『イン・ザ・ハイツ』撮影:引地信彦
そんな中でも作品全体を牽引しているのが、アブエラおばあちゃん役の前田さん、そしてウスナビ役のMicroさんです。アブエラはふだんは町の皆をにこにこと見守るおばあちゃんですが、一人になるとソロナンバー「辛抱と信念」で「母と二人で掃除夫の仕事を得、懸命に働いてきた」と心の叫びを吐き出すように歌う。前田さんはこの一曲で移民の苦節を存分に印象づけ、アブエラがこの作品全体の精神的支柱であることを示します。そしてMicroさんはと言えば「ウスナビを演じるために生まれてきた」と思わせるほどの、魂のこもった演技。特にウスナビが大きな悲しみを乗り越え、「この町で生き抜いていこう」と決断するくだりの芝居には「演技」を超えるものがあり、観る者の心を大きく揺さぶります。ラップ特有の詰め込まれた歌詞を丁寧に粒立てて歌い、観客に届けた点でも、本作への貢献度大であったと言えるでしょう。
『イン・ザ・ハイツ』撮影:引地信彦
もちろん現実はきれいごとばかりではなく、貧しさゆえに町を出て行く者もあり、コミュニティは常に儚く形を変えてゆきます。しかしだからこそ、今、ここで身近にいる人を大切にしたい。彼らとの何気ない時間を大切に生きたい……。緻密に、活き活きと展開しながら、今回の『イン・ザ・ハイツ』は“ヒスパニック系移民社会”の枠を越え、どの文化圏にも共通するコミュニティ、家族、そしてささやかな日常のいとおしさに気付かせる舞台となっています。