フィリピンでグローバルノマドになってみました
フィリピン生活も3ヶ月目。グローバルノマドというとかっこいいのですが、日中は暑くて外には出られませんから、グローバルノマドというより、グローバルニートといった感じです(苦笑)。
セブはフィリピン南部のビサヤ諸島に位置し、地震も台風も影響が少なかったようです。
首都マニラと違い、言語はタガログ語ではなくビサヤ語で、ローカルの会話では何を言っているのかわかりませんが、ほとんどの人が英語を話すので、コミュニケーションはすべて英語でできます。
治安はあまり良くないですが、基本的には親日的な国なので、一人で夜に出歩きさえしなければ安全です。クルマはトヨタを筆頭に日本車がたくさん走っています。しかし市街から離れると、日本の昭和30年代~40年という感じで、生活水準はまだまだ低いです。
路上にはストリートドッグ(野良犬)がたくさん歩いていますが、政府は何もしません。狂犬病を含め、ほぼ何かの病気を持っているので、噛まれないように注意が必要です。
最低賃金が確か月7000ペソくらいなので、月1万7000円ちょっとぐらいでしょうか。
ただそれは大卒正社員の待遇のようで、そんな仕事は多くなく、ローカルの家政婦さんなどは、月3000ペソ(約7500円)以下の人も多いそうです。
物価は安く、乗り合いタクシーのジプニーは初乗り8ペソ(約20円)、マンゴーは1個15ペソ(約35円)と、生活コストは驚くほど低く維持できます。普通のタクシーは初乗り40ペソ(約100円)です。なるほどリタイヤ後に移住して年金で暮らす人が増えているのもわかります。
そんなフィリピン・セブで生活して実感したことがあります。
それは、私たちがどれほど素晴らしい国に住んでいるのかということです。
たとえば日本人は150カ国以上の国に、ノービザで行ける。しかしフィリピン人が日本に来るにはビザの取得が必要で、日本での受け入れ先からの証明が必要。そもそも、飛行機は値段が高くて乗れない。海外に行ける人はまれで、パスポートすら持っていないのが普通。
小学校の授業料はタダですが、制服や文房具を買うお金を払えず、学校へ行けない子どもも多い。大学に行けるのはほんの一握りのお金がある人ですが、大学を出ても仕事がない。雇用は少なく、大卒でもコールセンターや英語学校の先生がやっとです。
国内資本の企業が少ないので、マネジャー職なども少なく、多くの労働者は外資の工場などでの下請け作業員。だから低賃金でスキルも身につかない。スキルがないからつぶしが効かない。
だから低賃金で雇える若い女性しか求人がなく、男性の多くは無職。女性でも30歳を過ぎると職に就くのは非常に難しい。6ヶ月以上雇用すると企業は社会保険に入らなければならないので、飲食や小売店の店員の多くは半年で解雇される。
電気代が所得に比べて高いため、冷蔵庫も洗濯機もない家庭も珍しくない。だから洗濯は手洗い。現地で通った英語学校の先生のひとりは、毎週日曜日は洗濯で1日が終わるといっていました。
もちろんスマフォは普及しているし、パソコンを持っている人も多いのですが、そちらを優先させるためガス代なども払えず、水シャワーが一般的。家なんて買えないし、資産形成もできない。(貯金がない人がほとんどです)普通に考えれば、これで将来に希望なんて持てないと感じますが、彼らはなんとか人生を楽しもうとしている。
これで「日本にはチャンスがない」「自分はツイていない」「夢が見られない」なんて寝言を言う人は、「お前はもう死んでいる」(『北斗の拳』のケンシロウ風)ということになります。フィリピンの猛烈な貧困を見ると、日本で格差が広がっているとか、生活保護問題とか、消費税がたった3%上がるとか、ずいぶんちっぽけなことで騒いでいるなと感じます。
実際、英語学校でフィリピン人の英語の先生(女性)と話したとき、
「自分も日本で生まれたかった」
「なぜ日本は焼け野原から豊かになったのに、フィリピンはこうなのか」
「日本人と結婚したい」
と言っていました。(だから日本人はモテる(笑))
日本で日本人に生まれたことは、実は宝くじで1等を当てたと同じくらい、幸運なこと。私たちはこのチャンスを活かさない手はないはずです。