1990年代~『J-POP』の時代~
1990年代
1990年代前半、ジャンルとファン層の分化はさらに進んでいった。
チャゲ&飛鳥、Mr.Children、B'Zなどの『バンド』、『アーティスト』による自作自演曲は口語調で日常や自らの主張をつづっており、けっして「子供からお年寄りまで」を対象としたものではないがドラマとのタイアップやミュージックビデオを通して、若年層に大きくアピールした。
1994年度年間1位Mr.Childrenの『innocent world』。内省的かつ社会的な表現が多用された、この時期のJ-POPを代表するバンドだった
1992年~1994年頃のZARDら『ビーイングブーム』、1995年~1997年頃の安室奈美恵、globeら『小室ブーム』も同様の傾向と言える。
『小室ブーム』最大のヒット、安室奈美恵『CAN YOU CELEBRATE?』(1997年度1位)。安室奈美恵の『アムラー』ファッションは女子高生を中心にブームとなった。
その反面、演歌など中高年向をターゲットにした楽曲はチャートを上昇することすら珍しくなり、衰退していった。『歌謡曲』という言葉が『J-POP』にとってかわられ、以前のような"国民的ヒット曲"が一切消え去ったのがこの時期。
しかし、1990年代末になってにわかに変化が見られた。宇多田ヒカル『Automatic』(1999年度5位)と郷ひろみ『GOLDFINGER '99』(1999年度71位)だ。宇多田ヒカルが大ブレイクした影には母、藤圭子を知る中高年層の熱烈な支持があった。
宇多田ヒカルが、彼女自身の持つ音楽性を超えて大ブレイクしたのは母、藤圭子の存在があってこそ。ファーストアルバム『First Love』も765万枚以上の売り上げを記録した。
郷ひろみの場合は、30年近い第一線のキャリアを持ったポップスターならではの現象で、子供から中高年層までがユニークなパフォーマンスに釘付けになった。若年層によって築かれた『J-POP』という枠組みが、逆に中高年層を取り込んでいったのだ。
演歌や童謡からも、1990年代末になって速水けんたろう『だんご3兄弟』(1999年度1位)、さらに演歌でも大泉逸郎が『孫』(2000年度11位※リリースは1999年)のがあり、息を吹き返した感があった。
2000年代~成熟する『J-POP』~
2000年代
2000年代前半も引き続き『バンド』、『アーティスト』が大きなヒットをはなった。
しかし、その中でも特に注目されたサザンオールスターズ『TSUNAMI』(2000年度1位)、中島みゆき『地上の星』(2001年度78位、2002年度67位、2003年度11位)や、小田和正らの楽曲は彼らがデビューした1970年代以来の中高年ファンに支えられてヒットした感があった。
発売は2000年だが、紆余曲折を経て2003年まで続く大ロングヒットとなった中島みゆき『地上の星』。
1970年代にフォークやニューミュージックの洗礼を受けた世代が金銭的、時間的に余裕のある50代、60代以上になり再び音楽の購買層として回帰してきたのだ。
2000年代半ばに『YOUTUBE』やウェブ上での音楽配信の進歩でCD不況が顕著になると、これまで主に若年層に支持を受けていた『バンド』、『アーティスト』は存在感が低下。かわって長年の蓄積により、幅広い年代に固定ファンを持つ『嵐』らジャニーズ系アイドルが台頭している。
ジャニーズ系以外の男性アイドルではEXILEの活躍が目覚ましいが『Choo Choo TRAIN』(2004年度57位)、『The Birthday ~Ti Amo~』(2008年度18位)など1990年代初頭の楽曲をカバーをしたり、1980年代を思わせるしっとりした泣きのメロディーを取り入れるなど中高年層に対するアプローチが随所に感じられる。
EXILE『The Birthday ~Ti Amo~』。不倫関係を描いた歌詞やマイナー調のべったりした曲調はまさに中高年女子向けの"歌謡曲"。自らの番組で玉置浩二とこの曲をデュエットした際、すっかり"もっていかれた"という悲しいエピソードも。
また氷川きよし『箱根八里の半次郎』(2001年度41位)、松平健の『マツケンサンバ2』(2004年度68位)や秋川雅史の『千の風になって』(2007年度1位)など子供からお年寄りまで幅広い年代に支持される国民的ヒットと呼べる楽曲が多数生まれるようになった。
コミカルな振り付けとともに話題になった松平健『マツケンサンバ2』。ファンかどうかはともかく『暴れん坊将軍』で世代を問わず圧倒的知名度を誇っていた松平健が"国民的歌手"として認知された瞬間だった。